日本百名城-10(東北・九州地区ー2)
今回の紹介は、8月と9月に訪れた、東北、南九州地区の85番目から93番目のお城の紹介です登城を始めてから3年近くになり、、年内には達成したいと思い精力的に動いた 8月14日(日)早朝 00:30 に自宅を、一人ドライブで岩手、青森、秋田県下のお城へ85番目 No.6 盛岡城 別 名:不来方城(コズカタジョウ) 築城者:南部信直・利直・重直 南部氏が築いた総石垣の城 花崗岩を加工した見事な石垣が残り、会津若松城と小峰城とともに東北の 石垣造りの三名城として名高い腰曲輪の石垣歴史文化館の前に作られた、ペットポトルの天守86番目 No.5 根城 別 名: - 青森県八戸市 築城者:南部師行 戦国末期の姿がよみがえった南部氏の城 根城は、甲斐から陸奥に移り住んだ八戸南部氏が、南北朝時代から戦国末期まで 本拠とした城である 復元された、主殿 復元された柵と空堀 87番目 No.4 弘前城 別 名:鷹岡城 築城者:津軽信枚 戦国の威風が漂う津軽市の居城 築城時の天守は五重だったが、落雷により焼失。江戸時代後期に本丸の 辰巳櫓を改築して天守代用とした。これが現存する天守である 北門(亀甲門)耐震工事で移動した後の、天守石垣移動された、天守閣 バックは岩木山天守跡の石垣5月連休は、桜の花が満開で田舎館村役場 田んぼアートが有名:役場の上から見えるが一時間待った この後、今夜のホテル『弘前駅前ルートイン』へ8月15日(月) 早朝 7:30 ホテルを出発、秋田県下へ88番目 No.9 久保田城 別 名:矢留城 築城者:佐竹義宜 佐竹氏が誇りをかけた土造り城 築城者佐竹義宜は関ケ原の戦いの後、家康ににらまれて日立水戸から出羽秋田に 天封させられた大大名である 表門::発掘調査や絵図をもとに復元された木造、瓦葺の本丸正門(一ノ門)御隅櫓 御隅櫓からの、秋田市内(秋田駅)御隅櫓からの秋田市内(西側:日本海側) 大手門前の水堀:折から蓮の花が 今回の旅で4城を訪問、東北地方10城を完全制覇 この後、日本百名城でない、横手城、稲庭城に登城、8/16(火) 3:00 に自宅へ到着 今回の走行距離は、二日間で1,813kmのドライブであった9月8日(木) ~ 10日(土) 九州の旅 今回の旅は、【九州ふっこう割】行くばい! 熊本レンタカー付きフリープラン3日間 で 阿蘇くまもと空港を拠点に登城した9月8日(木)朝一の列車で羽田空港へ 羽田空港 7:10 SNA011便にて 阿蘇くまもと空港上空 8:50阿蘇くまもと空港に到着後、レンタカーにて高速道経由、島原城へ向かう高速料金は、復興割引で3日間、\6,500 で乗り放題、12:40 島原城着89番目 No.91 島原城 別 名:森岳城 築城者 :松倉重政 島原の乱の引き金になった巨城 本丸の広さは名古屋城に匹敵するほどで、石垣は延長約4Kmの及ぶ巨城 本 丸 :五重五階の層塔型天守 本丸西側の高石垣:見事な屏風折りの高石垣 武家屋敷跡 多比良港 14:40 発の有明フェリーで、15:20 長洲港へ、小一時間の船旅であった 90番目 No.92 熊本城 別 名:銀杏城 築城者 :加藤清正 16:30 熊本城着、中学校の修学旅行以来の登城であった 加藤清正が築いた鉄壁の城二の丸より見た、宇土櫓と大・小天守 昨年四月の地震で被害 飯田丸五階櫓の修復 手前は、戌亥櫓、後方は大天守と宇土櫓 一番近寄れる、加藤神社からの、小天守、大天守 震災で悲惨な大天守 南大手門 この夜は、熊本『ネストホテル熊本』に宿泊、夜は居酒屋へ9月9日(金) 鹿児島、宮崎県下のお城へ向かう ビルの合間からの被災した熊本城 北十八櫓、石垣も崩壊 復興には、約20年で約600億円とか、早期復興を祈るのみです!91番目 No.97 鹿児島城 別 名:鶴丸城 築城者 :島津家久 館造りだった大大名島津氏の居城 城と背後の城山は、西南戦争の舞台でもある御楼門跡:本丸の正門跡 暑い中、発掘調査中であった 黎明館 入った右側に、篤姫の像がある 来年のNHK大河ドラマの舞台92番目 No.96 飫肥城 別 名:舞鶴城 宮﨑県日南市 築城者 :不明、伊東祐実 シラス台地に残る群郭型の古城 島津氏と伊東氏の約25年にわたる争奪戦をえて、天正16年(1588)、伊東氏が 城主になった 大手門へ大手門 樹齢100年以上の飫肥杉を用いて復元された櫓門 大手門を入って 旧本丸虎口北 門 旧本丸は石垣が残り、飫肥杉が残っている 同じ日南市に、広島東洋カープのキャンプ地『天福球場』があるので訪問訪れた翌日、25年ぶりの優勝 県道28号線沿いの、彼岸花と百日紅93番目 No.93 人吉城 別 名:球麻城、三日月城、繊月城 築城者 :相良長瀬、相良為続、相良長毎 中世城郭の特色を色濃く残す、相良氏歴代の居城 鎌倉時代から江戸時代の終わりまで、この地を治めた相良氏の居城である 相良清兵衛屋敷跡で発見された巨大な地下室は、用途不明の謎の地下室であり 遺構として公開されている 球磨川支流の胸川に面した長塀堀合門と、はね出しの石垣 御下門跡の石垣 再建された建物群 左から、角櫓、長塀、多聞櫓 これで九州地区13城を、二回の旅で完全制覇した夕食は、人吉の有名店で、うな丼を食べる この後、高速道路で熊本へ。『熊本グリーンホテル』へ宿泊9月10日(土) 一日時間が余ったため、急遽、高千穂峡へゆくことにした五ケ瀬川の、真名井の滝 柱状節理の渓谷天岩戸神社 阿蘇くまもと空港へ向かうため、南阿蘇経由で 途中震災跡を、家屋も倒壊 今回の走行距離は、三日間で1,004kmであった 阿蘇くまもと空港内のお土産店 がんばれ熊本!18:45 SNA022便で、羽田空港へ また、訪問することを胸に秘めて、自宅到着は、22:00 着 今回の登城で、日本百名城は後7城になった 10/11部 おしまい