河口湖、丹沢湖一泊の旅ー5、新倉富士浅間神社、新倉山公園展望台
かねてから来たかった、外国人観光客に人気の五重塔(忠霊塔)を脇に従える富士山の写真で有名な新倉山浅間神社、新倉山公園展望台へ。11月19日(日) 13:05新倉(あらくら)富士浅間神社駐車場この駐車場は無料でトイレ施設も完備。またここから富士山の全貌を見ることができると。イベント時は有料になるようだが、普段は無料で24時間利用OKで収容台数は普通車87台。駐車場からの富士山が逆光の中で雲一つなく聳えていた。新倉山浅間公園周辺案内図駐車場 → 新倉富士浅間神社 → 新倉山公園展望台 → アヤメ群生地 → ゴンゴン石→ 御殿。約1時間のコースである。新倉富士浅間神社のモミ 富士吉田市指定天然記念物 平成六年二月一日指定 所 在 地 富士吉田市新倉三三五三番地 所 有 者 富士浅間神社モミは日本特産の常緑樹であり、富士北麓では普通に見られ、また、植林も行われている。環境の変化、特に大気汚染に弱く、近年全国各地で枯死が目立ち始めている。この木の主幹は真っ直ぐよく伸長し、樹勢は旺盛で樹形は良好である。平成三年の十九号台風により、幹の頂上部約八メートルが失われたため、樹高は三三メートルになってしまったが、市内のモミの代表的な巨樹である。大きさは次のとおり。一、根元の周囲 5.52メートル二、目通り幹囲 4.62メートル三、樹 高 33.0メートル四、枝 張 り 東 6.6メートル、西 7.8メートル、南 6.5メートル、北 4.7メートル。 平成六年 三月 富士吉田市教育委員会木は確認しなかった。駐車場から階段を上る。階段を上り見下ろす。右側の木が「モミ」であったか。駐車場への入口方向を見下ろす。左上に”車祓所”がありその車用の坂。新倉富士浅間神社所在地:山梨県富士吉田市浅間2-4-1新倉富士浅間神社は戦国時代、武田信玄の父・信虎が北条氏との戦にあたり境内地である新倉山に陣をとり、当社で戦勝を祈願し勝利したことで刀を奉納されたといわれています。現在は災除け、家庭円満、安産、子育ての神として地域の人々をはじめ県外に渡って広く信仰を集めております。境内案内図富士山眺望日本一・富士山と桜の宮で近年外国人観光客に人気のスポットになっている。手水舎。神楽殿新倉富士浅間神社由緒 人皇第四十二代文武天皇の御代慶雲三年 (705) 九月九日、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷 の氏神として祀られる。 第五十一代平城天皇の御代大同二年 (807) 富士山の大噴火があり八月二十二日当社に朝廷か らの勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を執行し、その時、平城天皇より三国第一山 の称号並びに天皇の御親筆なる大鳥居勅額・金幣・破魔宝面(勅使面)を奉納された。 この破魔宝面は現在、富士吉田市の郷土資料館に展示されている。 六十年に一度斎行される式年大祭「御更衣祭」は神社で一週間潔斎しながら神様の御召にな る衣を織り御更衣する特殊な神事である。 富士急行下吉田駅北方新倉山の中腹に鎮座し、緑の森に赤い鳥居が調和良く見える。階段を 登ると左に手水舎、右に神楽殿、本殿は流造二間に二間半、拝殿は三間に七間の荘厳そのも のである。 神域は新倉山浅間公園として内外より親しまれ、多くの信仰を集めている。赤い大鳥居と戦 没者慰霊の五重塔「忠霊塔」は当地のシンボルとして眺望は随一である。ご祭神 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) 大山祗命 (おおやまづみのみこと) 瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)拝殿の扁額「三國第一山 富士浅間神社」。社務所ではいろんなお守りを販売していた。着物の晴れ着姿の女性も参拝。手水舎。正面奥の高木は「子育て神木」。”子育て神木”をネットから。ヒノキは地上2.5mより南北二幹に別れ、そこから若いスギが着生していることから「子育て杉」とも呼ばれていると。境内の隅に「熊出没 注意」の表示。昼間は人が多いので心配ないが早朝等には注意が必要。咲くや姫階段への坂道から”新倉富士浅間神社境内”を見下ろす。398段ある ”咲くや姫階段” を見上げる。咲くや姫階段の幅は一間ぐらいと狭い。九十九折りの女坂もあったが、階段の”咲くや姫階段”を上ることに。階段の途中にある「愛宕神社」。例祭:1月25日と7月第3土曜日火防の神様で、火災・盗難除けの神様である。愛宕神社の傍に石碑「謝恩 松井武君之碑」とあったが。咲くや姫階段の途中で、逆光であったが見上げて紅葉を追う。南方向に木の枝の間から富士山が見える。市街地は富士吉田市。咲くや姫階段は直線的で結構厳しかったが。木漏れ日の中を登る。階段の途中で振り返り撮影したが木の枝が邪魔であった。これらの木はサクラであった。樹々の間から富士をズームアップ。午後は逆光になるので午前中の方が良いようだ。サクラの時期には早朝に出かけ挑戦したいものだ。急な階段を見下ろす。大きなリュックを背負った観光客。すれ違う人の半分以上は外国人であった。忍野八海方向を見下ろす。正面の山は杓子山であろうか。杓子山(しゃくしやま)は山梨百名山で、標高1598mの山頂は周囲に遮るものがなく、富士山の全貌が望める展望スポットの代表格としての人気の山である。山頂は360°の大パノラマ。新倉山(あらくらやま)浅間公園から富士を望む。麓の富士吉田市は、標高約650m ~ 850mに位置する富士山北側の玄関口と言われている。紅葉したモミジの間から富士を!ズームアップ。この日は天気が良く朝から富士がよく見えていた。朱色の忠霊塔忠霊塔の由来Ⅰ、忠霊塔の概要 1、正式名称 富士吉田市戦没者慰霊塔 (俗称:忠霊塔) 2、所在地 富士吉田市新倉3360番地の1 市立新倉山浅間公園内 3、構造等 ① 銅板一文字葺鉄筋コンクリート五層建 大阪四天王寺の五重の塔を模している。 ② 大きさ 基礎部分 7.3m四方 1階床面積4坪 (13㎡) ③ 高 さ 19.5m(本体部分 13m、相輪 6.5m) ④ 総工費 9,368,884円(工事費 9,210,767円、事業費 158,117円)Ⅱ、忠霊塔建立の経緯 富士吉田市戦没者慰霊塔 (通称:忠霊塔) は、明治 (1868年) 以降の日本国として参戦 した戦役 (日清、日露、第一次世界大戦及び太平洋戦争) において戦没した市内出身者 960余柱 (現在1055柱) を合祀するため、市の援護会が中心となり、昭和33年8月12日 に富士吉田市長を委員長とする富士吉田市慰霊塔建設委員会が設けられた。 委員会は、その建設資金を旧下吉田町在郷軍人林を恩賜林組合に売却した300万円を基 礎資金として、その他不足する部分を広く市民の浄財に寄り、昭和34年4月起工し3年間 の工事期間を経て昭和37年4月に完成し現在に至る。 平成26年7月 富士吉田市慰霊塔奉賛会 富士吉田市遺族会 添木で保護されたサクラ。サクラ(ジンダイアケボノ)姉妹都市 米国 コロラド・スプリングス市 ジョン・サザース市長 来市記念植樹 ~ 姉妹都市締結 55周年 ~ June 20, 2017 (平成29年)新倉山公園展望台近くから忍野八海方向を見下ろす。山の向こう側には山中湖がある。⇐ 展望デッキこの展望デッキは、全国の皆さまからいただいたふるさと納税寄附により整備されました。令和2年度「新倉山浅間公園の展望デッキを増設し、多くの皆さんに日本唯一の眺望を楽しんでもらいたい!」をテーマにふるさと納税クラウドファンディングを実施したところ、全国から8,652人という多くの皆さまのご賛同をいただくことができました。 令和4年2月 富士吉田市13:25展望デッキには多く東南アジア系の観光客が写真撮影。一段高いところにも多くの観光客が座り込んでいた。 ー 続く ー