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カテゴリ:夫の母
息子たちの進学 義父の死後受けた諸々の痛手から立ち直る暇もなく、息子たちの進学が待ち構えていた。 長男は自分で進学コースを決めていたが、家庭の経済状態を考えて 受け持ち教師には就職希望と書いた書類を提出していたようである。 驚いた担任の先生は、我が家に来て是非「お母さんもたいへんでしょうが。もったいない,是非彼を進学をさせてやってください」と頼みに来てくださった。 私は経済的にとても無理と思いながらもケセラセラで行こうと心に決め、「受けるだけ受けてみなさいと、長男に言い渡した。 長男が見事、東京学芸大学書道家に合格した時は、嬉しいやら困惑するやらであった。 その2年後、次男は高専の熊本電波高校に入学し、寮生活のため家を離れ、私は義母と二人暮らしとなり、仕送りの捻出に懸命の日が続いた。 その頃の私の給料は月12000円、息子二人への仕送りは月30000円ぐらいはかかった。息子のオーバーなど衣類もすべて質流れ品でまかなった。 少量だがまとめて来る、遺族扶養料を公益質屋にいれて低金利融資を受け、その月その月をなんとか過ごす毎日であった。 やけバナナ 母と私はいつも芋粥をすすり、職場での昼食は焼き芋でしのいだ。 今は高くなった焼き芋はその頃一番安い食べ物であった。 逆に今安くなっているバナナは、その頃は高値の花で私たち貧乏人にはめったに口にはいらない果物だった。 私は、金繰りに無我夢中の日々の中、やり場のない悲しみや焦燥感に陥ると、大決心をしてバナナを買って夢中で食べたものである。 ヤケ酒ではなく、やけバナナである。 甘いバナナが口に広がるときの満足感、優越感、解放感はその時の落ち込み状態を救ってくれた。 今もバナナを見ると、その頃の苦労を思い出す。 ・・・・・・・・・・・・・・ 道子のパソコン水彩画三昧 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月18日 14時02分15秒
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