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宇多田ヒカル/Be My Last ≪CD+DVD≫ 宇多田ヒカル CD【Be My Last】送料120円(9/28発売) 宇多田ヒカルは、デビュー当時、一般的には、J-Popに本格的なソウルの要素を持ち込んだといって評価された。デビューアルバムは800万枚以上売れ、この記録は今も誰にも破られていない。 僕は、今はしょっちゅう上海に出張しているが、1998-9年頃までは、香港やシンガポール、バンコク、クアラルンプールなどアジア にしょっちゅう出張していた。 そして、どの国でも必ず目にしたのは、宇多田ヒカルのCDである。完全に海賊版とわかる(日本のポスターをそのままカラーコピーしちゃような)ポスターを店内に貼っているお店もあった。 そして、宇多田の評価は、例えば台湾で聞いてみると、やっぱり、「日本で(ということは)アジアで最初にPop Musicにソウルの要素を持ち込んだ人。 歌がうまい。」 というものであった。 ぼくも宇多田のデビューの頃は多少、そういうふうに思った。 でも、今になって考えてみると、これは完全なる誤解であると思う。 日本ではじめて、J-Popにソウルの要素を持ち込んだのは、 MISIA である。 宇多田のデビューよりやく1年はやい。 MISIAも宇多田も、デビューのしかたは、口コミ先行であった。大規模な宣伝が行われるようになったのは、ふたりとも、かなり売れる、ということがレコード業界で確信されるようになってからである。 MISIAで、開拓された、J-POPの女性ソウル・ミュージック路線は、いろいろなひとにうけつがれ、Double や、その後ジャズ的要素も持ち込むBirdやSAKURA 、もう名前も忘れてしまった沢山の女性ソウル・シンガーたちがデビューしては消えていった。 その路線に目をつけた誰かが、 男性ソウル・ボーカル路線ということで、まず、 男性ソロ・シンガー平井賢 男性デュオ:ケミストリー 男性グループ:ゴスペラーズ を次々に時間差をもってプロモートしていった。 うそだと思ったら、この3組のアーティストのレコード会社を調べてみるといい。 全部、SONY MUSICのレコーディング・アーティストだ。 はなしがよこにそれた。 宇多田がJ-Popに突然あらわれ、800万枚以上というスーパー・ヒットを生み出した最大の理由が、もし、「ソウル」ではないとしたら何なのだろうか。 ぼくは、Be My Last:最新シングルを聴いて、やっぱりそれは 彼女のたぐいまれなる「声」だと確信した。 彼女の「声」は、多少ソウルフルになるときもあるが、 どちらかというと、もう少し軽い。そして切ない。 歌の中で、声がかすれるぶぶん、びみょうに、おそらく天性の才能でビブラートする部分。息が不意にこぼれ出る部分、 そうした声とフレーズ全体が、ぼくたちの心をとらえて離さないのだと思う。 宇多田は、日本で800万枚以上CDアルバムを売り上げた実力シンガーとして、アメリカ・デビューにうってでた。 Utada名義で「Exodus」 でも、これは完全な失敗に終わったとぼくは思う。 アメリカには、声の声量、艶、張り、音域、ルックスなどをふくめて、感動的なソウルを歌えるシンガーおよびその予備軍がごまんといる。 だから「J-Popのソウル・シンガー」としては、Utadaはほとんどアメリカでは勝負できない。 おそらく、宇多田自身も、プロデューサーのお父さんも、プロモ・ビデオ製作のダンナも、みんなそれはわかっていたと思う。 そこで、みんあで、いろいろ音つくりに懲りすぎて、宇多田の『声』のよさまで、伝わらないようにしてしまった、とぼくはおもっている。 宇多田をUtadaとしてではなく、「宇多田ひかる」という素材として、今、売れっ子のアメリカのプロデューサーに完全にあずけてしまったほうが、よかったのではないかとぼくは思っている。 アメリカで売れるには、 アメリカに住んで、英語を話し、プロモーションで全米どこにでも出かけていく、じっくりとアメリカに腰をすえてやっていく覚悟がないと売れないと思う。 シンセ・ミュージック、ヒーリング・ミュージックの喜多朗 は、全米ツアーを10年くらいかけて何回も行って、グラミー賞に6-7回ノミネートされて、 やっとついにグラミー賞を手にしたぐらいだから。 ただ、宇多田はその条件を兼ね備えていた。今でも、アメリカで成功できる可能性が一番高い日本のアーいティストだと思う。 コロンビア大学に通い、英語で歌が歌え、取材やインタビューも、自分の言葉で英語で受け答えでき、ツアーをやれるほどの人気が出れば出来るポジションにいたと思う。 しかし、そんな取材やプロモ、ツアーのチャンスもなく、ほとんどアメリカ市場で知られることなく、「Exodus」は失敗に終わったと思う。 あのころ、彼女がちょっと病気にかかった、というニュースもながれていたので、おもったようなプロモーションが出来なかったのかもしれない。 アメリカはラジオ放送の力が強い国なので、ラジオ番組に生出演し、ばんばんラジオ・ステーションでヘビー・ローテーションすれば全米ヒットに拡大していく可能性が非常に高いマーケットだ。 そういったプロモーションが病気のために出来なかったのかもしれない。 でも、ぼくは最大の誤りは、宇多田の最高の強みである「声」を、サウンドをいじくりまわすことによって殺してしまったからではないかと思っている。 当然、その責任は、よってたかってプロデュースした父親とダンナにもあると思う。 そして、やっと日本市場にむけて、宇多田が帰ってきた。 アメリカ向け「Exodus」で、さんざん音作りに凝ってみたので、今回はすごくシンプルな音作りにした 、と宇多田自身がいっている。 そして、日本語の言葉で、聴き手に何かを伝える、ということの重要性とむつかしさをもう一回、認識したといっている。 最初の3行の詞で、すべてがつたえられなければ、Pop Musicとしては失敗だ、トも行っている。 そして、最初の3行で全てを伝えられれば、不必要な歌詞はいらないので、 「あ~あ~あ~ぁ」と歌っているとも言っている 宇多田が、言葉を大切にして、音つくりもシンプルにして、 その結果、彼女の『声』のよさが最大限に発揮されて、 素晴しいラヴ・ソングをひっさげて戻ってきた。 彼女のいう最初の3行の詞とは ♪母さんどおして あ~あ、あああ~あ 育てたものまで あ~あ、あああ~あ 自分で壊さなきゃ あ~あ、あああ~あ ならない日が来るの♪ これが、愛する人と育て上げた『愛』恋愛のことだけをさすのか、 それとも、もっと大きな『愛』をさすのか、それはわからない。 でも、さびのところで繰り返される、 ♪Be My Last…….. Be My Last…….. Be My Last……..♪ その『声』の素晴しさを一回聴けば、 理屈などどこかにいってしまって、 CDショップで、彼女のCDをピックアップして、即レジへ直行だ。 彼女のよさが、じつにシンプルな形で表現されている。 ♪With My Hands, With My Hands, With My Hands, 私の手で、Be My Last♪ ♪どうか君が Be My Last♪ となるように、 私の最後の人(=結ばれて永遠にわかれない人)と、 ラヴ・ソングの形をとっているのは明らかだが、 もっと深い意味が込められた詞のような気もする。 それは、みんながそれぞれ感じ取ればいいのではないか。 「Be My Last」には、2つのフォーマットがあり、 CDシングルなみなら、なんとたったの660円。 CD にDVD付なら1,320円。 DVDは、ヨーロッパ(おそらくフィレンチェではないかと思うが、他の都市も混じっているかもしれない)を舞台にした美しい映像。 最後に衝撃的な展開になるが、それは買ってからのお楽しみ。 パスタは、宇多田を全面的に支持します。 「Be My Last」 オススメです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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