テーマ:海外生活(7771)
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いよいよ退院だ。
前日からわたしは、家に帰ってシャワーも浴びれるし、限定はあるけど好きなことも出来るし、と浮かれていたのだが、おっとは渋い顔である。 おっと「だって病院だったら完全管理下だから、ぼくは安心なんだよね。家に帰って、ぼくが仕事に行っている間に君に何かあったらどうするの?」 もっともな意見である。これを聞いて両手離して喜ぶ事は出来なくなってしまった。 しかし、うれしいものはうれしい。 何が一番うれしいかというと、やっと隣のベッドの婆さんから解放されることである。 前のお婆さんにはともし火のような命を前にして、ハラハラし通しだったが、この婆さんは少し若い、ということもありかなり違う。 正反対で元気がいい。 この婆さんはパリ近郊在住のフランス人である。若い頃はさぞや美しかっただろう、と思うのがクルクルの金髪や青い目からうかがえる。 本人は73歳だと言っていたが、60代前半のような若若しさにびっくりした。 パリで働く息子夫婦と、イタリア人と結婚して我が田舎町に住む娘夫婦がいるのだが、今回の入院に際してパリからはるばるクルマでやってきたのだ。 飛行機ではなくクルマでやってきたのにはわけがあって、やくざの大ボスのような顔つきの7~8kgぐらいはあるだろう巨体でグレーの愛猫「ルルちゃん」が一緒に飛行機に乗れなかったからである。汗 そんな思いまでしてイタリアの、しかもこんな田舎町の病院に入院するならパリの病院に行って息子夫婦に看護してもらった方がシンプルなのに。。。と頭をひねったのだが、すぐに謎が解けた。 ROMP◎ SCATOLAなのである!(イタリア語勉強中の方!辞書を引いても載ってません。) 来た初日からTVを一生懸命見ていたのは記述したが、1日中TVがつけっぱなしである。 各ベッドにヘッドホンがついていて、それで各自音を聞くようになっているのだが、この婆さん、耳にヘッドホンを当てるのを嫌がって、最大ボリュームでヘッドホンをベッド脇に置いて観ているものだからシャカシャカ音以上のものが耳障りだ。おまけに時々つけっぱなしなまま、知らないうちに寝入ってしまっているので、わたしは枕を目の上にかぶせ、耳をふさいで夜中まで耐えなければならないときもあった。 毎晩、娘がお見舞いに来る。50代半ばの栗色の髪の背の高い娘は、ハイソな美人である。 この娘は毎晩お弁当とおやつを持ってきて、かわりに婆さんが包んだまずい病院食を、飼い犬の為に持って帰るのである。 こまごまと婆さんの着替えを持って来たり、諭すように婆さんに話しかけるのをみていると、どっちが親だかわからなくなる。 これぐらいはよかった。 恥辱のパデッラの日々は: わたしはなるべく最小限にはしていたのだが、しかたなしに用を足すために看護婦を呼ぶとする。 恥ずかしいので用を足している間は彼女に外で待ってもらう。。。と、ここまでしているのに、用を足している間に限って、TVを観るのを辞め「クッキー食べる?」とか、「うちのルルちゃんはね。。。」とかわたしの方を向いて喋り出すのである。 わたしだったら、道で用を足しているイヌとでもうっかり目が遭おうものなら、気まずそうにそっぽを向くので、気を使って知らない振りをしてやる。 わたしはイヌ以下かいっ!?と腹が立った。 月曜日にこの婆さんは手術をした。 前日の日曜の夜から婆さんは手術がこわくて、朝までメソメソと泣いていた。 最初わたしは泣き出したのにびっくりして「ああ、弱い人なんだな。」と励ましていたのだが、いい加減飽きた。←ニヒル そして手術の終わった婆さんは急に老け込んで、歳相応の顔になった。 しんどいのはわかるが、その後。 「寒い、寒い!わたし死んじゃうわ!!」と看護婦、医者に涙ながらに訴えまくった。 点滴が邪魔だといって手足をバタバタさせて、足の点滴が抜けて大騒ぎをした。 夜中、ウトウトとしていると「いくきーと!いくきーと、起きて!!足の点滴がまた変なの!ガクガクするの!!看護婦さんを呼んで!!」と泣きながら訴えるので、慌てて飛び起きて看護婦を呼ぶと(←ちなみに各ベッドに看護婦呼び出しベルがついている)、点滴が身体に入る感覚に敏感になっていただけでなんともなかった。 看護婦「これだけ暴れりゃ、点滴もまともに入っていきませんよ!」と怒りながら出て行き、わたしも呆れながら朝まで寝ようと勤めたが、もう寝れなかった。 あまりにこうなので、この日火曜日は娘さんが、朝から付き添っていた。 おかげでだいぶリラックスしたようである。 今度は暑いらしく、病室のドアも開けっぱなしなのにネグリジェの下半身ヌードでも平気で毛布をめくってパンパンのお腹を露出して談笑しているのを見て、「ああ、だからパリの息子はパスしたのだな。」と遠い目で考えた。わたしは歳をとっても、こうにはなりたくないなあ。。。。。 夕方になっておっとが迎えに来た。 前日に「黒いロングの冬物のスカートを持ってきてね。」とタンスのどこに入っているかまで指定して頼んだのだが。。。 持ってきてくれた着替えを見るとタンスの奥底にしまい込んでいた夏物の、白黒ストライプのミニのワンピースだった。←こういうものなのか、世の男とは!? とにかく心も晴れ晴れと、隣の婆さんに別れを告げ、おっとの用意した車椅子で救急出口から出てクルマに乗り込む。 ミニスカートから露出した右足が冷たかったが、1週間ぶりのシャバは、それも忘れるぐらい懐かしく見えたのだった。 おっととのおつきあい以来、はじめて抱きかかえられて(←おっと、腰抜けそうになる。涙)2階にある我が家に着いた。 歩行器でもなく車椅子でもない、松葉杖をはじめてついて、家に入った。 家の中は、今まで見たこともないぐらい荒れていた。 テーブルの上にはビールの空き瓶がゴロゴロしてるし、ソファの上はスナックの食べカスだらけだし、流しは汚れたコップとお皿の山である。 何かにつまずいて、さっそくこけそうになる。見ると、床に踏みつけられてひからびたスパゲッティがこびりついていた。 おっと「土曜日、ウイリアム達が帰った後、夜通しコックさんとプレステで遊んだから、掃除する気力がなくなっちゃってさ。」 いつもは掃除マニアのおっとも、やもめ暮らしになるとここまで変わるのか。 普通なら嫌味のひとつも言うところなのだが入院してからというものの、おっとにはいろいろ苦労をかけているし、目をつぶることにしたのだった。 この夜は簡単にインスタント食品を食べ、おっとの介助で1週間ぶりにシャワーを浴びた。左足にゴミ袋をかぶせて水が入らないようにし、バスタブの中に座りこんで左足をバスタブのふちに置くという、アクロバットな姿勢だった。 と、いうか介助するのも、されるのも慣れていないので、水は鼻から入るは、熱湯を浴びせられるわ、ほとんど浴槽でおぼれるようにバタバタしていただけだったのだが、なんとかさっぱりしたのである。 この夜から長い長い、自宅軟禁生活が始まった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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