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2018.06.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「真に恐れるべきものを恐れる」
これと同様
「健全な批判精神を持つ」
ことは、言うは易く、行うのに骨が折れる。ものである。

人は、自分たちで勝手に基準を作り、その中でのみ通用するロジックによって、問題を解決した。と思い込むことが多い。

しかし、個人にせよ集団にせよ、どんなに身分が高かろうと全知全能、無謬ということはありえない。のである。

昨今の保守派、左翼の批判は共通して、率直に、公平に見れば元々の不公平さを永続させているだけのものが少なくない。「左翼にあらずば人にあらず」この空気を引きずっているように見える。左翼は、この基準を必死で守ろうとし、一方の保守派は、言論の公平性は実は担保されていない。として、無意味な強硬論を志向したりする。

国家の重大事に関する証言や批評、そして反対意見を述べる機会を互いに抑圧しているかのように映るが、それは正義とフェアプレイの精神に反するものである。「健全な批判精神」のためには何が必要なのか?

それは事実であろう。

しかし、事実良いうものは、扱いにくいものなのである。多くの批判が、健全な批判精神を持たぬように見えるのは、この「事実」を身勝手に軽々しく扱ったり、処理されたり、無視されたりするからであろう。

そして、少なからぬ方々は
「だから国民は分かっていない」こう嘆くのである。
しかし、その問題点が、自らにあることを、認めようとはしない。

私は、批評家が陥っているのは、この陥穽でないかと考える。

最も、この情報化社会において、非難・誤解・中傷・露骨な嘘・流言飛語・プロパガンダ・軽率で不完全な調査・マスコミ報道の中で真実を探そうとすると迷いそうになる。

しかし、信頼に足る、剥き出しの事実は常にあり、それに従えば、我々を隠された場所にいざなってくれるものである。

どのようなものが信頼に足るのか?
当然、居丈高に主張したり、自らの地位にのみその正当性を主張することは、「信頼できない」典型であり、そのような人がぞの陣営に存在するだけで利敵行為にしかならないのである。
例をあげれば、菅元首相、鳩山元首相などを挙げれば理解できると思う。

このように書いたのは、先日付の産経新聞「正論」を読んでということになる。
ぜひご覧いただきたい。

2018.5.31 10:30更新
【正論】
気骨ある健全な批判精神を示せ 日本大学教授・先崎彰容

 ≪大人は若者から「見られている」≫

 今、わが国の主要な言論、とりわけ新聞・雑誌は「不祥事」を論(あげつら)うことに終始している。財務省トップが、性的不始末で陥落しただけではない。昨年2月、学校法人森友学園に対し、国有地を安価に売却したのかどうかをめぐって、議論が紛糾した。さらに財務省の決裁文書の改竄(かいざん)が明らかになり、国税庁長官が辞任する騒動にまで発展した。

 「忖度(そんたく)」という言葉が一躍、流行語になったことも記憶に新しい。さらに、大学の部活動が問題行動を起こし、相手側大学の学生に被害を及ぼしたことから、新聞・雑誌・テレビなどのジャーナリズムは、大学のマネジメント能力を問題視した。

 むろん筆者は一研究者であり、私的な立場から今、この原稿を書いている。そのことを踏まえたうえで、これら一連の「不祥事」から、現在、われわれ国民が何を学ぶべきなのか、一考を促したいと思う。これは文章を書くとき、いつも念頭に置いていることなのだが、われわれ大人は、常に若者たちから「見られている」という意識を持つべきだと思う。

 あまりにも粗雑に粗雑を重ねるマスコミの言葉の氾濫は、大人の権威が地に落ちかねないほどの域に達している。以下は、日々成熟したいと願っている私なりの極めて拙い現状診察である。

 ≪行き過ぎが指摘できる環境か≫

 たとえば、「忖度」をめぐる不祥事について、歴史界の大物たちの事例を参照しよう。『文芸春秋』2018年5月号では、「安倍政権と旧日本軍の相似形」というタイトルで、半藤一利氏と保阪正康氏、そして若手論客として辻田真佐憲氏が鼎談(ていだん)を行った。

 彼らは冷静に、現在の安倍晋三政権を戦前の旧日本軍と比較して論じている。たとえば戦争末期の小磯國昭内閣を見てみると、海軍次官が軍需局長に「天皇陛下が日米の戦力比の数字を知りたいと言っている」旨を伝え、書類作成を命じた。すると「いつものようにメイキングしますね」との返答を受けた。つまり小磯内閣以前から天皇に対して海軍官僚は数字を出し入れし、都合のよい資料を改竄・捏造(ねつぞう)していた。これは今回の不祥事を彷彿(ほうふつ)させると言う。

 しかし、と半藤氏も保阪氏も留保をつける。それでも戦前の官僚は「天皇の官僚」として高潔なプライドをもった人もいた。しきりに半藤氏は、戦前の官僚には「気骨」があったと言っている。また保阪氏も、沖縄返還に関する日米密約について「官僚にも良心がありますから、最後には話してくれると思いますよ」と、戦前を生き抜いた官僚と現在とを比較し、称賛を惜しまない。天皇から特別な使命を与えられているという感覚が忠誠心を生みだし、プライドを支えていたというわけである。

 ところが、戦後の官僚は「政治家の官僚」になってしまった。高潔さの微塵(みじん)もない現在の官僚は、政府の顔色ばかりを窺(うかが)い、劣化した存在だといえるだろう-。

 以上が鼎談の要約である。彼らの安倍政権批判の是非は、ここでの問題にはならない。注目すべきは、次のような論点を引きだせることなのだ。すなわち政治家と官僚であれ、スポーツチームの監督とコーチであれ、何がしかの権力を持った存在に対して、どのようにすれば健全な批判精神を持つことができるか。政権や監督に対して、それは行き過ぎであると、手を挙げて指摘できる環境をどうつくれるか。これが、私たちが論じるべき課題なのである。



 ≪人間社会を問い質す議論がない≫

 半藤氏が抽象的に指摘した「気骨」とは、目の前の「集団」に対し、適切かつ健全な批判精神を持つことを指すはずである。そしてこの課題こそ、近代日本の思想家たちが、それこそ心血を注いで取り組んだ課題であった。

 たとえば丸山眞男は、論文『忠誠と反逆』で、頼山陽や福澤諭吉、徳富蘇峰や内村鑑三など幕末・明治の思想家たちを論じている。意外に思えるのは、丸山が頼山陽など幕末儒学に高い評価をしていることである。それは儒学思想に含まれた「天道」という概念にかかわる。理念とでも言った方が分かりやすいだろう。

 現実社会から超越した「天道」という理念があれば、政治体制を相対化する視線を確保できる。現状が全てではない、変えることができる。維新回天の偉業は、前時代の遺産を精神の糧にして成し遂げられたというわけである。

 しかも西郷隆盛や頼山陽らの天と個人との緊張関係は、内村鑑三のキリスト教に直接流れ込んでいる。内村は『後世への最大遺物』のなかで頼山陽を褒め称(たた)え『代表的日本人』では西郷こそが、天命を引き受けて行動した理想的人物だと筆頭に挙げていたのである。

 今日、「忖度」への嘲笑であれ、監督とコーチの疑問視されている関係であれ、これらの問題から人間社会とは何かを問い質(ただ)す議論が全くないのはなぜなのか。私は改めて自分が大人であること、つまりは冷静な判断によって問題を深く見つめる目を養いたいと思う。 (せんざき あきなか)

以上産経ニュースより引用

実態や公平さについて立ち止まって調査し、考察すべきである。
我々は、騙されているのか、自問すべきである。

そうしようと思えば、できるのである。それをしないのは「罪」と言って過言ではない。

文責 上田 和哉
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Last updated  2018.06.04 12:30:04
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