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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史が好きで悪いかっ!
聖徳太子の謎に迫るシリーズ第3段は、古代天皇が在位した時代について書きます。 なんだか話題がどんどん聖徳太子から離れて行くようですが しばらく辛抱しておつき合いください。
前回も書いたように、初代天皇の神武が即位したのは紀元前660年。 「天皇の歴史って古いんだなぁ」などと、感心してはいけません。 真実である可能性が0%だとは言いませんが、限りなく0%に近いと断言します。 紀元前7世紀と言えば稲作は始まっていたとされてはいますが、 まだまだ縄文時代と言っても間違いではない時代なんです。 神武天皇の即位を紀元前660年としたのは、天皇の歴史を古く装うために 日本書紀が創作したものだと言われています。 中国の讖緯(しんい)説に基づき、「辛酉は天命が改まる年」という考えから 紀元前660年に設定したというのが定説のようです。 初代天皇の即位を紀元前660年としたが、実際の即位時期はいつだったのか。 そして天皇家の歴史を古く装うためにどういう創作が行われたのか。 どれだけの天皇が即位時期に手を加えられているのか。 それらを知る手がかりは、ほとんどありません。 いろいろな観点から見て、私の個人的な考えでは 少なくとも第26代の継体天皇(507年即位)あたりからは、 日本書紀の記述は実際の時代に即したものだろうと思っています。 仮に神武天皇の即位が3世紀頃だとすると、いろいろと時代調整が必要になりますね。 実際は継体天皇までの300年足らずの間にいた25人の天皇を 紀元前660年からの1000年以上の間に充てて歴史を記さねばならないのです。 欠史八代と言われ、天皇の歴史を古く見せるために 実在しない天皇を偽作したという説があります。 私はたとえ伝承であったとしても、全ての天皇が実在したと考えています。 理由は単純。 実在しない天皇を創作するのなら、 もっとたくさんの天皇を創作するのが自然だからです。 継体天皇を起点とする理由はここでは省略させていただきますが B.C660年から継体天皇が即位した507年までの1167年間に 25人の天皇を充てたために、いろいろと不自然なことになっています。 それは天皇の在位期間と年齢です。 一例として、私の手元にある資料から100歳以上の天皇をご紹介します。
初代神武(127歳)、5代孝昭(114歳)、6代孝安(137歳)、7代孝霊(128歳) 8代孝元(116歳)、9代開化(111歳)、10代崇神(119歳)、11代垂仁(139歳) 12代景行(143歳)、13代成務(107)、15代応神(111)、16代仁徳(143歳)
1人か2人ならばわからないでもないのですが、上記のような事態は 誰が見ても不自然だと言えるでしょう。 戦国時代あたりでは「人生50年」と謡われていました。 現代人の寿命から考えても、上記のような年齢は不自然ですね。 もっと違和感なく天皇の歴史を古く装うのならば、 少なくとも仁徳天皇までに 15人くらいの架空の天皇を創作する必要があるのではないでしょうか。
ここ数年、私は神社巡りをするようになり 古事記や日本書紀の神話をよく読むようになりました。 古事記や日本書紀によれば、天皇は天照大神の子孫であると書かれています。 神話によれば、高天原の天照大神の孫、瓊々杵尊(ににぎのみこと)が この国を治めるために地上に降りてきました(天孫降臨)。 神武天皇はその瓊々杵尊の曾孫ということになっています。 そして古事記には、天皇が神の子孫でありながら 寿命が(普通の人並みに?)短い理由がわざわざ書かれてあります。 その部分を読んだ時、ふと新たな疑問が浮かびました。 天皇の歴史を古く装うために、神武の即位年をB.C660年としたため 以後の天皇の年齢を増やす必要があったことはよしとして、 その「割り振り」に不自然さを感じたのです。 ※天皇の寿命に関しての神話は、私の神社ブログにご紹介した記事があります
もし私が日本書紀の編纂を任されて、 「神武天皇の即位を紀元前660年にしろ」と命じられたら 以後の天皇の年齢や時代の割り振りを上記のようにはしません。 天皇の歴史を古く装うことだけが目的ならば、 神武や以後数代の天皇の年齢だけを多くすれば簡単なのです。 いかに天皇の寿命が神よりも短いと言っても、 天皇は天照大神の子孫なのですから、 初期の天皇は高天原の神々の資質を色濃く持っていたと言えます。 神武から数代の天皇の年齢を300歳くらいにしても 「高天原の神の子孫であるからだ」 つまり、そういう言い訳が出来るのです。 しかし実際には日本書紀の編者たちは、そういう手法は採用しませんでした。 上記のように、10人以上の天皇の年齢を100歳以上に設定し しかもその割り振りを1000年に渡って分散させているのです。 日本書紀の編者たちは、そうせざるを得ない理由があったと考えています。 そのよんどころない理由というのが、神功皇后だと思っています。
長々と書きましたが、これまでのことをまとめてみます。 1.天皇の歴史を古く装うため、讖緯説に基づき神武天皇の即位をB.C660年とした 2.そのため以後の天皇の年齢を引き上げて調整した 3.100歳以上の天皇が12人(その他の天皇も高齢)いる 4.天皇の在位時代の割り振りに不自然さ、疑問がある
上記「4」の答えとなるのが、神功皇后の存在だと書きました。 次回はその神功皇后について書くことにします。
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