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テーマ:猫のいる生活(136630)
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ランカシャーとはイギリス最大の綿工業の中心地として栄えたマンチェスターをかかえた地方名のことです。 ぢゃあ「東洋のランカシャー」とは? それは戦前の大阪のことだったんです。 昭和10年代の国定教科書「小学国語読本」の記述です。 戦前の大阪のイメージは立ち並ぶエントツ、曇った空など、まさに工業地帯そのものだったのです。 近年で云うと三重県の四日市みたいなモンだったのですね。 大阪と云うと芸人、食いだおれ、商業と云うのが今のイメージですが、戦前の大阪はそれより東京を抜いて日本一のマンモス都市。 それどころかニューヨーク、ロンドン、ベルリン、シカゴ、パリに次いで世界でも6番目の巨大都市だったのですね。 大正時代の東京の人口密度が13,500人程度だったのに、大阪は2万人を越えていました。 しかしけして誇れることではありません。 過密が急速に進んだため、上下水道の整備が追い付かずに、衛生状態は相当に劣悪だったようです。 また道路もそれほど整備されておらず、渋滞はあたりまえで、鉄道も充分とは云えない状態だったため、朝夕のラッシュは相当ひどいものだったようです。 それで大阪市は大正14年に行政区域の再編をおこない、隣接する東成郡と西成郡が大阪市に編入されることにより日本一の座を占めたのですな。 昭和3年(1928年)当時、東京の人口221万人に対して、大阪の人口は233万人となったのです。 画像は戦前に大阪駅前を行く御料車(日本の天皇および皇族が乗車するための車)です。 グローサーメルセデスが使われていました。 しかし誇れることもあります。 それは文化の発祥地だったこと。 3大新聞のうち、朝日新聞と毎日新聞は大阪が発祥の地です。 またカフェの女級やメーター制のタクシーなども大阪から始まりました。 大正9年には梅田駅に日本初のターミナルデパート、阪急百貨店を開業させています。 私鉄沿線沿いに郊外住宅が立ち並ぶのも、始まりは大阪からです。 昭和4年に風光明媚な土地の芦屋に、高級住宅街の建設をおこない谷崎潤一郎などが居を構えたのがそのいい例です。 箕面電気軌道は、明治45年に終点である宝塚駅に温泉施設を作って、そこを「宝塚新温泉パラダイス」と名付けました。 ここには大劇場も備えられ「宝塚少女唱歌隊」が公演をおこない大ブームを巻き起こしたのです。 これが現在の「宝塚歌劇団」元祖となったのですな。 画像は「宝塚少女唱歌隊」第一回公演、歌劇「ドンブラコ」 桃太郎役は高峰妙子。猿役が雲井浪子。 公演は「婚礼博覧会」の余興の一つで、宝塚新温泉内パラダイス劇場で行われました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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