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テーマ:猫のいる生活(136020)
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こんだけ地球環境が汚染されると、遠からず人類にとって破滅的な時代が来るのは誰もが感じているでしょう。
それでも人間は毎日心配なんかしないでのうのうと生きてゆけるのは、そんなに差し迫った問題ぢゃないとか、自分にはふりかからないだろうと云う意味のない楽観視からきているのか? 映画の世界で近未来を描いたとき、ほとんどの映画では「夢のような明るい未来」ではなく、「重く垂れた暗雲のような未来」を描くことが多いですね。 もちろん、そう云うシチュエーションでないと、事件もおこりにくくって、ストーリー展開ができないってこともあるけど、どっちにしても決まったように地球は破滅的にボロボロってのが多過ぎます。 「ダ・ヴィンチ・コード」の続々編、「インフェルノ」では"地球の人口爆発に歯止めをかける"と云うことがテーマになってました。 大富豪の遺伝学者が自殺する前に残した、大量殺戮を可能にする「インフェルノ」ウィルスを拡散させるか、拡散を食い止めるかのかけひきが物語の骨子です。 世界の人口は19世紀末から21世紀に至るまで「人口爆発」と呼べるほどのスピードで急増しました。 西暦1年ごろに約1億人だった人口は1,000年後に約2億人となり、1900年には約16億5,000万人まで増えました。 1950年に25億人を突破すると、50年後の2000年には2倍以上の約61億人にまで爆発的に増えているのです。 そして2011年には70億人を突破したと推計されています。 人口爆発はたちまち飢餓や環境汚染、地域間の格差などさまざまな問題を内包しています。 「インフェルノ」はこの人口爆発をメインテーマにしておきながら、結局、この問題には手付かず。 単にウィルス争奪戦に終始したのが、この映画の食い足らなさを助長しているような。 これを実行しようとしたのが映画「バイオハザード」。 ここでは人口爆発が見えてきて、限られた人々"アンブレラ社"の幹部と人工授精させるための精子、卵子を未来版"ノアの箱舟"に乗せて、いらなくなった人類は抹殺しようと画策します。 人類抹殺の道具がアンブレラ社が開発したウイルスに感染したゾンビと云うワケです。 だいたい「暗い未来」の設定には"人間同士の核戦争"か"AIコンピュータによる地球乗っ取り"がほとんどですな。 "宇宙人の来襲"は結局、来襲阻止でメデタシメデタシ調が多く、人類は共同して宇宙人から地球を救ったみたいな能天気な構図が多いですね。 核戦争によって地球がズタズタにされた未来と云うのは「マッドマックス」が代表格でしょう。 もう荒涼とした砂漠しかない地球で、生き残った人々は、お互いに助け合うのではなく、自分だけの生存をかけて戦うと云うストーリー。 政府によって極端な格差社会が作られ、奴隷のような貧困層は命の尊さでさえ尊重されない、そんな世界を描いた作品も多いですね。 「ハンガー・ゲーム」やマット・デイモンの主演した「エリジウム」とか。 「トータル・リコール」もそうした物語ですし、映画版の「進撃の巨人」みたいに、政府が民衆をコントロールするために"巨人"から逃れる城壁の中に押し込めたり。 と云っても「進撃の巨人」はあまりにアホらしい映画とのウワサが先行したので、ご覧にならなかった方が多いかな。 なんのことはない人類が開発したAIコンピュータと云う皮肉。 マトリックスでは人間はAIコンピュータに電力供給するための飼料でしかなく、ターミネーターになるとそれもかなぐり捨てて、ひたすら人間を殺戮することのみにまい進する。 こうなると人間も捨て身で闘うしかありませんわなぁ。 時間と記憶をテーマにしたこの映画では、人類が置かれた環境の描写はサラッと流していますが、誰もいない地表に、人間以外の生き物だけが生息しているのが奇妙な違和感を覚えさせます。 そのパターンだとウィル・スミスの主演した映画「アイ・アム・レジェンド」も一緒ですね。 この映画では試験投与したガン治療のウイルスが狂犬病のような症状を引き起こして、それが蔓延。 ニューヨークは廃墟と化す物語です。 能天気な明るい未来は夢のまた夢か? 現実を見ると、ど~したってそうなりますわなぁ。 もう地球環境が絶体絶命だと云うのに、目を覆って見ないようにしている。 ほんとうにノアの箱舟到来なんてことになるかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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