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テーマ:猫のいる生活(136087)
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古代の天体観測用機器に「アストロラーベ」と云うものがあります。
ある種のアナログ計算機なんですな。 用途は多岐にわたり 太陽、月、惑星、恒星の位置測定と予測、経度と現地時刻の変換や三角測量に使われた機器です。 機器としての用途とは別に、それ自体が芸術作品のため非常に骨董的価値の高いもので、オークションなどで1個 7,000万円以上で取引されるものがあります。 ティンパンは特定の緯度ごとに作られ、天球の一部分を表すための方位角と高さの線が等間隔で刻まれてて、これが地平線の上に置かれています。 メーターのふちには、時間か角度、もしくはその両方が刻まれているのですね。 メーターとティンパンの上にリートと呼ばれる、黄道(太陽が1年間に動くみちすじ)の投影線と星の位置を示すいくつかの指針を持った枠が付いています。 1周は1日。 つまりアストロラーベは現代で云う星座早見盤なんですな。 メーターの裏には測定に役立つ比率などが刻まれていることが多いです。 例えば時間を換算するための曲線、特定の月の日にちを黄道上の太陽の位置に変換するカレンダー、三角法の比など。 裏面には アリデードと呼ばれるもう1つのルーラが取り付けられています。 アストロラーベを垂直に持ったとき、アリデードが回転し、その長さに従って星に照準が合わされます。 それによって、ふちの目盛りから星の高度が得られるのですね。 天測航法のために天体と地平線との間の角度を測定する「六分儀」と云う主に航海に使われる機器が18世紀に発明されるまで、アストロラーベが航海での主要測定器でした。 アストロラーベの発明者は分かってないのですが、イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブの子孫をカリフ(最高権威者)とし、最盛期にはその支配は西はイベリア半島から東は中央アジアまで及んだアッバース朝(750年~1258年)ではアストロラーベの研究や作成が行われた記録があります。 イスラムで最初にアストロラーベを作った人物は占星術師ペルシア人のファザーリーや9世紀の占星術師アリー・ブン・イーサーなど、アッバース朝で活躍した人々でした。 アストロラーベはイスラム世界各地で発達しましたが、用途としては天体や地上の目標物の高度を測定したり、時刻の算出、占星術に必要な特定の天球上の星座配置の再現など携帯用天体観測儀として普及したようです。 そのため航海中の時刻や位置測定、地上ではキブラ(イスラムにおける礼拝の方向)を見付けるのに広く使われました。 下の画像左、ウマル・イブン・ユスフのアストロラーベは元々イエメンで発掘されたもので、ニューヨークのメトロポリタン美術館のエドワード・ムーアのコレクションに展示されています。 このアストロラーベは、金細工で非常に伝統的なイスラムのデザインを施した品物で、西暦1291年の日付が刻印されてます。 アストロラーベが西ヨーロッパに入ってきたのは11世紀ごろです。 イスラーム政権治下のスペインや、ノルマン王朝や シチリア島やイタリア半島南部を支配したシチリア王国を経由してのことでした。 ヨーロッパで最初に金属製のアストロラーベが造られた記録に残ってるのは、15世紀にリスボンのアブラハム・ザクートによってです。 15世紀には、フランスの測定機器技師ジャン・フソリスが、パリの店で日時計や他の科学機械などと共にアストロラーベを販売し始めました。 アストロラーベには平板でなく、立体構造のも作られてます。 こうなると「天球儀」と変わりないですね。 こうして時代とともに、どんどん複雑で精密な測定ができるアストロラーベが18世紀まで作られ続けたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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