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テーマ:猫のいる生活(136087)
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バンドネオンと云う楽器はドイツで発明された楽器です。
1829年にウィーンの楽器製作家シリル・デミアンがアコーディオンを発明し、それを購入したドイツの楽器製作家カール・フリードリヒ・ウーリヒがアコーディオンをヒントに、バンドネオンの原型を開発しました。 そのウーリヒの原型に低音域を拡張するなどボタン配列に変更を加えて、バンドネオンを考案したのはドイツの楽器製作家ハインリヒ・バンドです。 1847年のことでした。 なので大音量を出すことが可能で、鋭い明快なスタッカートなど音のメリハリもつけやすいのが特徴です。 バンドネオンと云うとアルゼンチン・タンゴと云うイメージが強いですね。 頬から胸郭まで体をぴったりと密着させ、男性の腕を女性の腰に巻き付けて、複雑なステップを踏み出し、曲がりくねってながらも鋭く、劇的なターンとそれに続く突然の思わせぶりな休止を伴うダンス。 しかし上流階級のアルゼンチン人はタンゴ発祥当時、ワルツに親しんでいたためある種の嫌悪感をもって見ていました。 アルゼンチン近代を代表する文学者の一人レオポルド・ルゴネスは、タンゴを「売春宿から来た爬虫類」と表現したほどです。 下の画像は、女性アーティスト サリー・ポッターが自ら監督、主演した1997年の映画「タンゴ・レッスン」のシーンです。 豪雨の街中で濡れながらタンゴを踊るなど、非常にビジュアルの新鮮な素晴らしい作品です。 しかしアルゼンチンの上流階級人がタンゴを軽蔑していたホントウの理由は、地球の反対側パリのファッショナブルな社会に熱狂的に受け入れられていることだったのです。 この官能的なダンスはモンマルトルのキャバレーに登場し、1911年~1914年にかけてパリはタンゴ・マニアで溢れかえりました。 最初のタンゴのレコードはパリで作られ、最初のタンゴ学校がパリで開校されたのです。 最初は輸入ダンスと呼ばれていたタンゴに対するフランス人の熱狂に、やがてアルゼンチンの上流階級人も後を追うようになりました。 ほどなくタンゴがブエノスアイレスのみならず国中に広がり始め、上流階級の若者たちがタンゴを習うようになっていったのです。 アルゼンチンの楽団は、最初はギター、フルート、ヴァイオリンという編成で、しばらくはバンドネオンなしのタンゴ演奏が主流でした。 しかし20世紀になり、ドイツから大量のバンドネオンが輸入され、タンゴでよく用いられる楽器となっていったのです。 バンドネオンの加入で「タンゴ」の音楽的性質は大きく変化しました。 フルート時代のタンゴは、人々がひたすら歌い踊り生活の憂さを忘れようとするものでしたが、バンドネオンのタンゴは人生や恋の苦しみを吐露して悲しみをつのらせたり慰めを求めるものになっていったのです。 バンドネオンの切ない音色は心の痛みを表現するのにピッタシだったのですね。 2016年に公開されたドキュメンタリー映画で、アルゼンチン・タンゴに革命を起こした伝説のタンゴペア、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスを取り上げた「ラスト・タンゴ」と云う作品があります。 アルゼンチン・タンゴの魅力を世界に知らしめ、タンゴ史上最も有名なタンゴペアとされた2人の物語です。 ドキュメンタリー「ラスト・タンゴ」予告編 もうひとつオマケでこっちはオチャラケで。 1993年の映画「アダムス・ファミリー2」のダンスシーン。 Addams Family Values (1993) - Morticia and Gomez Dance Scene お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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