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カテゴリ:想い
早朝、はたとあれこれ想いが湧き上がり、床の中で一気にiPadに書き連ねていまう。
これが私のブログパターン。 今日もつい?が湧いてきました。 そもそも此の世に於いては、苦しみや身体が感じ取る痛みなど存在しないのではないか。 苦しみや悲しみ、人間間における憎悪、争い、そして身体的痛みは、超リアリティー性を持った仮想現実に過ぎないのではないか。 但し、美しいものに触れて起こる感動や喜び、感じ取る悲しみ憂、良心側に立った心の傷みは全て真実であろう。 舞台や映画の劇中においては、観る側には、感情移入されながらもまだ仮想と現実に立っている。 The Endとともに暗い館内から外の明るみに出て、いつもの我の現実に還る。 此の世においては、ロングランの舞台を生きるようなものかもしれない。 人は全て、劇中の中に生きている。 悲喜劇、家族、関わる人間、争い、問題提起、感動場面・・ 誰もが、その立ち位置からすれば主人公であり、どのような関わりであれ、特別な関係者となる。 眼前に現れる必然的事象と必然的縁。 ひとつ違うとすれば、台本は、監督から渡されたものではなく、自ら選択に関与できたものだということ。 場面を観て、悲しみと喜びに涙する。 この時、心の針が触れる良心側の観客席が現実なのだろう。 超リアリティーな劇中においては、目的と強い想いをもって手にした我の台本(課題)に我を見失い翻弄されてはならない。 劇中の悪に本当に塗れてはならない。 なかなか解決しない人類の舞台劇。 良心の観客席側を忘れてはならない。 如何なる困難な時にも、良心の現実を放棄してはならない。 私は全ての宗教に興味を持ちません。 真理は、それらをいとも簡単に超えてしまうでしょう。 2012.9.27 ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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