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カテゴリ:想い
過ぎた個人主義、保身、甘えの構造・・が蔓延し、精神の低級化が進んでいるように見受けられる昨今の世の中。
辛抱ができない 努力せずして世の中や他人の所為にする・・ あらゆる業界において、現場、そして採用する責任者の声としてよく耳にするところだ。 企業によっては、誠実さとやる気の、外国人雇用の目を向けているともいう。 使える使えない。 生きるに様々な問題を解決しようとするなら、それは先ず以て、誰に依存することなく、個人の精神というところに帰結する。 企業は、性別、パート、正社員に関係なく、定年を過ぎた人間でも、やる気のある人財をどんどん雇用していけばいい。 世の中がどうあれ、家庭の事情うがどうあれ、いつの時代においても、自分次第なのだ。 学歴、肩書き、地位名誉、物質的財の多寡、 例えば、SNSを営業のツールとして利用しようと、 詰まる所は本人で判断される。 天の下に生きるものに、その判断は全くの平等だ。 即ち、自己責任における堂々の個人を確立すればいい。 先ずは、此の世における唯一無二の我を愛し大切にし、 自らの善なる意志でその魂を牽引してやらねばならない。 誰がどう言おうと思おうと。 いかなる時においても対峙するのは我と天なり。 自己確立された精神を持ってこそ、他人を思いやることもできる。 便利なデジタル化と、ある面、無機質で使い捨てサイクルを持った白物家電のように、個人までが魅力を持たなくなった現代社会。 机上の勉学より大切なの情操部分だ。 情操は、懸念も心の痛みも、戦争の恐怖も、進化することとその側面に潜む破綻等、あらゆることに心及ぶだろう。 同時に、真の幸福や喜びも感じ取れるだろう。 「何で俺が出なければならんのだ」 「もう少し若い人がしっかりしてくれよ」 数々の憂いは、今年八十歳の石原氏の言葉に尽きる。 ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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