2月の出来事 その2
日付がいい加減ですが、2月の忘却録その2です。------------2月の前半のちょうどその頃。私自身も気持ちが落ち着かない状況をいろいろと抱えていた。その一つは、4月からの3番目の預け先。今までの保育室は2歳児までで、4月から3歳児になると出なくてはならない。また、もし入れなかったら困ると思って受けた幼稚園は私が抽選で外れくじを引いてしまった。保育園の発表が2月半ばだったのだけれども、もし落ちたら、と思うと気が気ではなかった。あなたは落ちるような気がする、というママ友の言葉も焦りを増した。また、仕事のことでも行き詰まりを感じていた。転職をしようかとも思ったりもして、実際一つ受けてみたりした。ダイレクトにやってみたい仕事ではなかったが、やりがいのある仕事のように思えた。非常勤の仕事ではあったのだけれど、時間的にはフルタイム。朝も早く、子供に鍵を預けての出社になるため負担は目に見えていた。また、土日の出勤もありえて、残業もあり得るというのは、現在夫が単身赴任の状況でなかなか難しかった。かといって、3か所に勤務し、しかもどれも実績にならない中途半端な状況。この現状からどうにかして脱したかった。長く務めている一つの仕事も、非常勤の身分ではだんだん活動範囲が狭まってきていてモチベーションが下がっていっていた。3人目の出産がなければなぁ~と、ふと頭をかすめることもあった。同期だった職場のママ仲間が、退職し転職したのも拍車をかけた。そんな状況の中、また事件は起こった。学校から電話が入り、「(2番目)君が頭を打って保健室で寝ています。お医者さんへ連れて行こうと思うのですぐ学校へ来てください」とのこと。あわてて駆けつけて、先生からよく話を伺った。全校生で校外班の集まりがあったらしい。その集まりが終わった帰り、うちの1番目に2番目と2番目の友達がからんで、たたいたりちょっかいを出したそうだ。1番目は頭にきたのだが、2番目の友達には手が出せないと思ったようだ。そのかわり、2番目を押し倒し、頭にひざ蹴りを入れてしまったそうだ。その場を見ている人はいなかったのだが、近くにいた保護者の方が、床にたたきつけられるドーンという大きな音で、あわてて駆けつけてくださったらしい。しばらく本人は起き上がれなかったようだ。その保護者の方が先生に連絡してくださり、保健室に連れてこられたらしい。迎えに行った時、意識もあったし私のことも認識していたので、ちょっとしたこぶくらいで大丈夫だろう、と思っていた。しかし、まだ頭が痛い、と言っていて、校長先生が「救急車を呼ぼうかと思っていますが、どこかかかりつけの病院はありますか?」との言葉で、なんだかもしかして大変かも?!と思い直す。その足で大きな病院へタクシーで連れて行った。どうも、眠いようで、移動の車の中でもすーっと寝てしまう。その姿がなんだか意識が無くなっていくようで、これは本当にまずいかもしれない、と思いだした。診察を受けている時も、うつらうつらと不自然な眠りなうえに一度吐いてしまう。ますます持って、まずいかも。早くCTなり、MRIなり撮らないのか?!という私の思いとは別に、医師は、歩かせてみたり、瞳孔の開きをみたりした結果、「様子を見ましょう」とのこと。2時間くらい病院内に待機した後再診。変わりなく、寝続けているのだが、特に変わりはないため「こんなときには連絡してすぐ来てください」と紙を渡され、明日の再診となった。脳震盪をおこしている状態で、眠ったり、吐いたりするのは典型的な症状でよくあることらしい。一緒についてきてくださった保健の先生曰く、この病院はあまり検査をしないそうだ。他の病院だと、すぐCTやMRIを撮ったりするらしい。どっちがどうとは言えないが、とりあえず医者を信頼してそのまま帰宅。たまたまその日は夫が早く帰ってきたので、1番上がこんこんと諭されて反省文を書かされて待っていた。幸い2番目は次の日は頭痛もとれ、元気になって再診した。大丈夫だろうけどボクサーが頭を打たれて脳震盪を起こし、KOされた状態なので脳にはダメージがある。この状態で、また脳を打撲すると危険なので注意してくださいとのことだった。また、何か変わったことがあったらすぐ受診ということで帰宅。要は兄弟げんかから起こってしまった事件だが、ここ最近兄弟げんかが激しいのは感じていた。どちらかというと、1番目が2番目に泣かされたりしていることが多かった。早く迎えに行った時も1番目が2番目に髪を引っ張られ、隅に隠れ泣いていることもあった。ちょっと1番目のふがいなさも感じており、「ちゃんとやめろと言って、やめささなきゃ駄目じゃない。やり返すことだってできるでしょ。」と言ったこともあった。今思うと、きちんと間に入って話を聞いてあげたほうが良かったかもしれない。1番目の不満もたまっていたのだろう。2番目がやたらにからんできたりするのに対し、めずらしく1番目が反逆したこともあった。まずいこれはやりすぎだろうと思って1番目に怒ることも、この事件の前の伏線として確かにあった。兄弟げんかは十分させたほうがいいということも言われる。棒などを使ったり物を投げたりする時には止めに入っていたが、それ以外は家事をしていたり手が離せなかったり、物理的に目がいかないことが多く、基本的には勝手にやらせていた。それが悪かったのかどうなのか、まだはっきりとした答えは出ていない。けれども、私の気持ちの落ち着かなさが子供に対しての余裕の無さにつながり、ひいてはこのようなことになったのだと思っている。学年末の保護者会で年配の先生が語られた言葉が身にしみた。乳児はしっかり肌を離すな幼児は肌を離せ 手を離すな少年は手を離せ 目を離すな青年は目を離せ 心を離すな小学生の上2人は、目を離してはいけない時期なのだろう。大切に日々を過ごしていきたいし、またそうしていかなくては、と思っている。