神社・寺院の新たな役割を果たす時代が到来 !
時代に伴い変わるべきものが数々ある ~ 子供は、国の宝と言う ~ このコロナ禍で、何と5,000人にも及ぶ若者が自殺に追い込まれたと言う。そこには、失業・落第・失恋と様々な理由があるのは、分かる。だが「何処にも救いの道が無かったのだろうか」と素朴な疑問が出て来る。 その背景には、一人っ子育ちによるメンタル弱体化と将来に対する希望の崩壊なども自殺の要因又は背景とも考えられる。 欧米諸国では、日曜日毎にクリスチャンは、家族揃って協会に行き親子での交流がある。一方、日本では、日曜日となれば、ダブルワーク家庭では、家の中に子供達が残されて、塾に通う子供や最寄り公園で遊ぶ子供らも中には、存在する。つまり、その昔に語られた「かぎっ子」の再来なのだ。 子供に対する親の指導も行き届かずに、身体だけは、大人に育つもメンタル面は、殆ど小学六年生レベルに達していない子供たちがそのまま大人として社会に出て行く。 だが、メンタル面が未発達のために謝罪や謝礼が出来ないままである子供達が蔓延して社会の中でもまれる事になる。一言謝罪すれば、直面した事態を回避できる筈のものが自分が良しと思って遣ったことが他人から叱責される事に慣れていないためでもある。そして、一人になり、携帯電話を道路に叩きつけたり、自宅の壁を蹴飛ばして壁を壊したり食器を壊したりと様々な結果を残す。 そこには、大変な社会問題が横たわっているのに、親御さんたちは、そうした悪態をした子供を責める事で、一件落着としている。 子供を育てる過程で、可愛いと何でも欲しがるものを与え、自己制御心なるものの育つ余地を与えずに進学・進学と頭脳教育に両親は、ご執心となる。 つまり、子供の人格形成やメンタル面の強化など指導する事さえできずに成人式に至る。その時点で、子供を再教育するには、余りにも手遅れなのだ。 そこで、提案であるが、神社・寺院は、そうした発育過程にある子供達の居場所づくりに手を貸す事が、今の子供たちが大人になる前に遊びや、講和などを通じて、両親が指導できていないメンタル面の教育の場として機能する事が、今後の社会形成に不可欠な点と見られる。 それが、子供達自身にとってもより有意義な時間となるであろう。単に受験勉強のために人間は、生まれて来た訳ではない。確かに教養は、無いよりある方が良い。だが、それは、命があってのものだねである。メンタル面が弱ければ、何かある度に「この世の中からの逃避」としての自殺を思考する回路が念頭に仕上がってしまう。 その回路は、生涯抜けない事になる。よって、神社や寺院の関係者が力を合わせて、人間としてのメンタル面強化に向けた活動や指導による道を開いてあげる事が、子供たちの先行きをより明るいものにする事になる。