微妙な距離感と微妙な関係…。望月花梨作品
望月花梨は、新潟の加藤さんに借りている作品群の中の一冊です。というか望月花梨ばっかし借りてます。私はささだあすかの作品何点かとハチクロを貸しています。ありがとう!そのうち返すぜ!望月花梨は昔々本誌を読んでいたころに見かけた作家さんでした。すっきりした線を使って、線の細い主人公が出てくるなーくらいで、読みきりが多かったように思いましたが、本当にそうだった…。彼女のテーマにしているであろうところは、思春期なんだろうなーと思ったりします。子供から大人になっていく過程の「ココロのゆらぎ」を描いていますが、それはあくまでココロのなかであったり、自我分割のできていない共生関係の誰かだったりします。したがって、校内暴力に走るでもなく(そんなのはこの作画で見たくはないけど)せいぜいみんなから変な目で見られるか、いじめられるくらいな主人公が出てくるだけです。先ほど思春期と書きましたが、思春期でも特に最初期の他者と自分を分けるに至る動きを描写しています。したがって、男女関係であってもどろどろした部分はなくて、「いままで一緒だったのに、なんでこうなるんだろう?」みたいな認識と葛藤が描かれています。読みきりが多いからか、そういう部分に意図的に触れていないという気もします。作品のエピローグとして何年後かの主人公が出てきたりしますが、それでどうしたかとかいう結論は出ていません。まあ、出す必要もないからそんなこたぁどうでもいいのです。(いい意味でです)さて「緑の黒髪」ですが、一番びっくりしたのは主人公の「いづみ」ちゃんと「吾郎」くんおよび「武田」くんが中学生だったということだ!武田くんが博多にいってから2年後に親戚の結婚式のために帰ってきたときにいづみちゃんと再会する。てっきり格好的に居酒屋系かとおもいきや、ファミレスだったらしい。その後の会話で吾郎は寮のある高校に行って帰ってこないときたもんだ。この作品においては武田くんは狂言回しとなっています。血のつながらない兄妹のいづみと吾郎は、幼少のころにつり橋理論により精神的に深く結ばれていた関係だった。とはいうものの中学生になって、共生していた関係にヒビがはいってくるわけです。そこに武田くんが出現することによって、お互いを個人として意識する結果となりうにゃにゃにゃにゃってかんじです。読んでいると、痛いからいやなんですが、その痛さがいいのでしょう。自分が若いころにそんなもんがあったかというと無いので経験則もないのですが…。けど、こう書くと作品が面白くないような印象を与えそうなんだよなー。面白いですよ。はい。