テーマ:40代の視点と日常(771)
カテゴリ:徒然草
『 所詮、私のやること 』 を書いた日に、 ネットサーフィンをしていて、ひとつの詩にこころを捉えられた。 石川県野々市町にある、浄土真宗大谷派 常讃寺の藤場美津路(ふじばみつじ)氏が 月1で発行されている寺報『 法友 』に掲載されたものである、とのことだった。 元々は、藤場氏が仏の言の葉を感じて、そのまま書かれた言の葉であるとの由。 1982年の2月、信者さんを中心に70名ほどへ配布されたものが、 長い年月を経て、ひとからひとへと伝わるなかで、作者不詳ということになっていき、 良寛作、ということまで言われるようになっていったらしい。 現在、全国に出回っている「良寛作」の『 丁度いい 』は、 宗教色の濃い最後の5行が省かれてしまっている、とのこと。 真宗にとったら、最後の5行がポイントだったりするのに、 この5行があるだけで、 普遍性を減じ、一般にはヒかれてしまってた、ということだろうか。 確かに5行がないことで、 多くのひとびとに強烈な印象を残していったように感じる。 作者の藤場氏は、取材を受けて曰く、 「 間違われた良寛さまは、苦笑されていることでしょう。 これは、自己否定の苦悩のなかに聞こえた仏さまの慈愛の言の葉であり、 安易な現状肯定ではありません 」 お前はお前で丁度よい 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい 幸も不幸もよろこびも 悲しみさえも丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい 地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも丁度よい 仏様と二人連の人生 丁度よくないはずがない 丁度よいのだと聞こえた時 憶念の信が生まれます 南無阿弥陀仏 釈迦の説く「 遠行憶念の恩 」。 今の自分。 在るがまま、を まず認め、感謝とともに受け入れること。 そこからの、スタートであり、 そこが、ゴール、なのか な。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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