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みかんの木を育てる-四季の変化

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2011年08月19日
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第3回マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判から』(b統治権)を読んで

今回は、3回目、『法の哲学』のb)統治権にはいります。
前回は8月14日、a)君主権を読みました。

http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201108140000/


今回の「統治権」の章は、ヘーゲル『法の哲学』自体でも、その分量は少ない。
第287節から297節まで、マルクスは文庫でP73から96までの23ページ分です。
(P数字・・・は、国民文庫のマルクス『へーゲル法哲学序論』のページ数です)
『世界の名著 ヘーゲル』(中央公論社)の『法の哲学』では、たかだか9ページです。

    ヘーゲル『法の哲学』(中央公論社)  マルクス「法の哲学」批判(国民文庫)
a)君主権      17ページ          40ページ
b)統治権      9               23
c)立法権      51              144

ヘーゲルは、冒頭の節で「統治権」の対象について定義しています。
P73 第287節「君主による諸決定の執行と適用。総じて、すでに決定ずみのもの、現存の諸法律、諸制度、諸施設等々の継続的運用及び維持。...この統治権の下に司法権、警察権もふくまれている」
ここでマルクスは、ヘーゲルの特徴は3権が相互に調和的にはたらくものとイメージしているが、しかし行政権と司法権は対立物として扱われるのが通例だと指摘してます。

マルクスが、ヘーゲルの展開で注目した点や、批判したことを見てみましょう。
P74-76 第289節「統治権の代理者、すなわち行政担当の官吏について」
マルクスは、この節に関して目立つのは、
一、ヘーゲルが市民社会を「万人の万人に対するたたかい」として定義していること。
二、国家を特殊目的の保持の手段としてもつこと、これが「市民たちの愛国心の秘密」だし、国家へのおもいの深さと強さ」だと、ヘーゲルがあばいていること。
三、市民社会の固定した成員個人と、国家の固定した諸個人の形をとって、両者が拮抗する点と指摘しています。
同時にマルクスは、ヘーゲルの展開の問題点について指摘しています。

P75「同じ個人が彼の社会的あり方の一つの新しい規定を展開するのでない。ヘーゲルによると、意志の本質がその諸規定をそれ自身から展開するのである。国家の現存の、様々で別々な、経験的なあり方は、これらの諸規定の一つの直接的化身とみなされる。
普遍なものが普遍的なものとしてそのまま自立せしめられるように、それは直に経験的存在とごっちゃにされ、有限なものが無批判的に直ちに理念の表現と解される」と。

マルクスは、まず初めにヘーゲルの統治論の叙述から書抜をしています。P76-79。
『法の哲学』の第288節から297節まで、全体から中心点を書き抜きしています。
次いで、そのヘーゲルの読みにくい叙述を平易に要約しています。P80-81。
その後でマルクスは述べてます-「本来、行政というのは展開のもっともむずかしい項目なのである」と。

なぜ「むずかしいのか」?
当時のプロイセンは専制君主国家です。今日の「言論の自由」が認められた社会とは大違いの社会でのことです。
戦前の天皇制国家の社会をイメージすれば理解しやすいかも。そこでは、統治論、行政論、官僚論などを、誰に遠慮することなく自由に述べることは「むずかしかった」だろうことは、容易に想像できます。

ヘーゲルの統治権の特徴について、
P80「統治権は、警察権と司法権を市民社会にあるとして除いてるから、ヘーゲルの統治権とは行政のことであり、官僚制として展開している」と指摘しています。
マルクスは、ヘーゲルの説を要約した後で、
P81「ヘーゲルは、一つには現にあるがごとき官僚制の経験的叙述を、また一つには官僚制自身がそのあり方についてもっている見解の経験的叙述をあたえることだけで、むずかしい問題を片付けている」と。
そして、「ヘーゲルは官僚制の内容については何一つ展開していない。ただ、官僚制の「形式的」組織の若干の普遍的規定を述べるだけだった。」と厳しい評価をしています。

その上で、マルクスはヘーゲルを徹底させるかの様な形で官僚制論を展開します。
1、P81 官僚制は、国家が市民社会の分離を前提に、国家の団体と市民社会の団体との対立から出てくる。
2、P82 官僚制は、国家の内に、一つの特殊な閉じられた社会である。
官僚制は実践的諸幻想の織物であり、官僚的精神はぴんからきりまでイェズイット的な神学的な精神であり、官僚組織は僧侶共同体である。
3、P83 官僚制の本質が「形式主義としての国家」からして、現実的な国家目的は官僚制には反国家的な目的のようにみえる。官僚制は国家の現実的没精神性を至上とする。官僚組織は誰も飛び出すことのできない環である。官僚制は知の階位性がある。
4、P84 官僚制は国家を所有し、外に対しては閉鎖的団体として守られる秘密。内部では、精神主義はひどい物質主義、すなわち、受動的服従、権威信仰、固定した形式的やり方、固定した原則、見方、しきたりのメカニズム、そういった物質主義となる。個々の官僚には、国家目的は私的目的となり、より高い地位の追求となり、立身出世となる。役所精神。
5、P85 官僚制の精神主義。官僚制は一切のことをつくろうとする。意志を第一因にさせる。内容を外から受け取り、その存在を形づけ、制限することにより証をたてる。官僚にとって、世の中は、彼の取り扱いの単なる対象にすぎない。
6、P86 ヘーゲルは統治権を君主に内在する主権の客観的側面と呼ぶ(第293節)が、官僚制においては、国家利益が一つの特殊な私的目的となって、他の諸々の私的目的と対立するところにある。

ここでマルクスは、ヘーゲルを批判しています。
P86「ヘーゲルは、一つの非現実的な対立から出発する。だから空想上の同一性に、本当はそれ自体またしても対立的な同一性にたどりつく。」「このような同一性が官僚制だ」と。
この点を、マルクスは、「子細に彼(ヘーゲル)の展開を追って」分析し、批判していきます。ヘーゲルの同一性が見かけのものであり、その内にある現実的な対立を指摘していくわけです。

最初に「包摂」ということ。ヘーゲルが統治論であたえる唯一の哲学的規定は、個と特殊の普遍のもとへの「包摂」の規定だ、と。
ヘーゲルは「包摂」の範疇にあてはまる存在を見つけだすことで満足する。
ヘーゲルは彼の論理に一つの政治的体をあたえようとしている、と指摘しています。
順次、見かけの同一性の中にある対立を、その問題をあげていきます。

1、P86 「複合選挙」-ヘーゲルは、国家と市民社会の第一の同一性は、「選挙と、上からの認証、任命」の団体の長の選出の複合選挙にある、と。
マルクスは指摘します、団体の管理がもつ対立には、私有財産と国家との対立がある。混合選出は対立が解消されてない二元論の一つの単なる調節、一つの協定、ひとつの告白である、と。
ヘーゲルによれば、もともと「統治代理者」「行政担当の官吏」は、「市民社会」に対立するところの真の「国家代表」なのだということが指摘されてました。
「警察」「法廷」「行政官庁」は、市民社会を向こうにまわして国家を守るための国家の代理者である、と。

2、P90 「官吏採用の試験」-ヘーゲルによれば、どの市民も官吏になれる可能性が、国家と市民社会の第二の同一性である。
しかし「試験は知の官僚制的洗礼」のようなもの、「俗知の聖知への化体の公的承認」であり、さらに「君主の恣意」決定がある。

3、P92 「給与」。ヘーゲルは官吏の給与を理念から展開する。第294節。
官吏の給与のうちに市民社会と国家との現実的同一性が出来ている、と。
マルクスは「官吏の給与はヘーゲルがでっちあげる最高の同一性である」と。
官吏の給与が諸君主国の「内的堅固さをつくる」とヘーゲルは言っているのは、そのとおり。官吏の生存だけが、市民社会の成員に対立して保障されている。
統治権は市民社会に対する対立物として設けられた。

4、であれば、ヘーゲルは官吏・官僚による国家と市民社会の同一関係をどうつくるか。
ア、P93 「権力の濫用に対して」-官吏たちの権力の濫用にたいして、国家と被治者との安全保障は、一つに官吏の「位階制」にあり、また、共同体・団体への権利賦与のうちにある。官僚制の恣意を防ぐ下からの第二の保障は、団体の諸特権にある、と。
イ、P95 「中間層」-政府の構成員たちと官吏は、中間層の主要部分を構成して、同一性が定立される。この中間層の存在を、ヘーゲルは「公正と知性の点で」国家の大黒柱だとたたえる。
これは、ヘーゲルの権力の濫用防止する同一性の展開への、マルクス流の皮肉だと思います。

以上。
多くが書き抜きとなりました。しかも長くなりました。
ヘーゲルが展開していることを、重要と感じた点の書き抜きだけでなく、理解しやすいように要点にまとめてみる、そうしながらマルクスは吟味し批判していくわけです。
a)君主権も、このb)統治権も、率直な展開が難しい問題です。ヘーゲルの著書の論評であったから出来うることだと思います。
もっとも、これは出版されませんでしたが。
マルクスは言ってます、「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして窮極的な形にまとめられたドイツの国家および法哲学に対する批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面またドイツの政治的および法的意識の従来の在り方全体への決定的否定でもある」(『ヘーゲル法哲学批判序論』)。
マルクスのこの作業が、ヘーゲルの政治論、社会観を批判しただけでなく、一般的哲学的批判に通じていたことが、うなづけます。

さて、次回は最後の章、c)立法権です。






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Last updated  2011年08月22日 23時03分04秒
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