モーガンの『古代社会』に挑戦します
岩波文庫にモーガンの『古代社会』(1877年刊 青山道夫訳)があります。
この著作は、人類の先史から今日まで歴史を理解する基礎を与えてくれています。
文庫の上・下の全体で750ページにもなる大著なんです。
他方、この本に対するマルクスの『摘要』が全集の補巻4に残されています。これも200ページを越える書き抜きと批評なんですが。マルクスは1883年3月に亡くなっていますから、1880年末から1881年3月初めに書かれたこの『摘要』は、彼の晩年の探究だったんですね。
モーガンという人ですが、青山氏の解説によると「1818年11月21日アメリカのニューヨーク州オーロラに近いカユガに生まれた。そして1881年12月17日に没するまで、その64年の生涯は、学研としてばかりでなく、法律家、実業家としてまた政治家として多彩な生涯だったのである。」
アメリカという国の中からは、面白い人が、研究者が出て来るものですね。
私はこの本を1997年1月に、ですから20年前になりますが、一度通読したことになっているんです。
しかし、その時の中身については、ほとんど記憶に残っていません。
やはり第三編「家族観念の発達」のところで苦労したようです。
今回は、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』が案内役を果たしてくれます。もちろん、マルクスのつくった『摘要』もつき合わせすることが出来ます。
今、第三編「家族観念の発達」の第二章「血族家族」を終えたところですが。
まだ、ごくごくとば口でしかないんですが。
この篇の初めの箇所でモーガンがアドバイスしてくれてます。
「しかし、血族家族は、複雑でしかも困惑を感じさせるものであり精通するには容易でない。読者がこの問題を十分検討しそれが包含する証拠の価値と重要さを吟味しうるには多くの忍耐を課されるだろう。」(下 P156)
一読しての難しさには、根拠とそれなりの問題があるんですね。
だいたいモーガンという人が40年をかけた研究の結果をこの本にまとめているわけですから、私などが読んですらすらと理解できるようであれば、研究者の苦労というものは無いわけです。実際はまさにその逆で、それなりの苦労と忍耐の努力をしなければ、たとえその道の研究者であっても、理解することは難しいということなんですね。まして、私などが、前回は、問題をかみ砕けず、氷の上をすべっていたわけですが、さもありなんです。今から見れば、それはそれで一つの努力賞であり、(この大著に挑戦し、理解はともかく一応はそれ読み通したんですから)、今回は、マルクスの『摘要』と、全体像を示してくれるエンゲルスの『起源』とを、この二つをアドバイスにして、再挑戦するというわけです。この中からなにが引き出されるか、注目ですね。
おそらく、ここには、人類の歴史を、先史-有史-現在-未来の発展過程をひも解くヒントがしめされていると思うんですよ。現在がもっている未来への発展の示唆、これも含まれていると思うんです。
レーニンという人も、エンゲルスの『起源』を大切にしていた人ですが、彼は国家論の視点から、ここから本質的示唆を引き出して、直面していたロシアの現実に生かそうとした人ですが、(『国家と革命』、講演「国家について」など)、この国家論の問題もここに含まれている問題の一つですね。
しかし、問題はそれにとどまらないとおもいます。少なくとも、人類の歴史に関心を持つ人は、唯物論的歴史観というものに関心を持つ人は、いずれかの機会に、この課題に挑戦しなければならないと思います。
ここには社会科学の一つの良心的な成果が、すでにしっかりと一定の成果としてあるわけですから。現代に生きるものにとっては、怠けものにならないためには、これは必要な作業なんですね。もちろん簡単なことではないとおもいますが、不可能なことではないと思っています。
ということで、これから、この『古代社会』と『摘要』の大きな山に、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』をアドバイスにしながら挑戦していきます。