山田ファミリーがみかん園へ来園
ゴールデンウイークの5月5日に、小田原・石垣山のみかん園に、山田ファミリーが来てくれました。
一夜城の駐車所で待ち合わせたんですが、
まずは、豊臣秀吉が80日間で築城したとのことですが、その一夜城を散策しました。
お城の跡が、その時のまま残っているわけですから、貴重なものじゃないかと思います。
山田ファミリーが来てくれるというので、
私などのようなにわか農夫ではなくて、当地でみかん園を営む農家の方との懇談の場をつくりました。
ゴールデンウィークのこの時期は、ちょうどみかんの花が咲きだすころなんですよ。
みかんの花が咲き始めて、あたりにはみかんの花の香りでただよいだしています。
相模湾の景色もよし、散策するにはもってこいの場所であり、その時なんですが。
ところが、この地で営農するみかん農家にとっては、
外観的なみかんの花咲く時のすばらしさは、瞬間の気持ちでして、
昨今のロシアによるウクライナ侵略が、日本人の食生活に、みかん業にどの様に影響してくか、
すでにどのような影響が出出しているのか。
実際のところは、みかんの花を楽しむような、そんな気分どころじゃないんですね。
ざっと見て、あちこちに雑木林をみかけるんですが、
それが元はみかん園だったそうで、いまも農家は懸命な努力をしているんだけれど、
その労働の手がやりきれなくなった結果が、みかん畑が雑木林にかわっているとのこと。
懇談した農家の人たちは、こうした流れはまずいと思っていて、
市民農園として都会人にみかん栽培を体験してもらったり、
雑木林となった区域を開墾して、みかん畑によみがえらせたり、
それこそ様々な努力や工夫を、今現在もしているようすが紹介されました。
私などの、素人が外野席から見ていると、感じるんです。
農家が安心して営農できるようになることが、その子供たちが農業を継いでゆく基礎になると思うんですが、それには国の農業政策が諸国の経験を生かした、科学的で合理的なものにならなければならないと思うんですが。
現実の政治は、お米づくりにしても、酪農にしても、みかんづくりにしても、自由主義のほったらかしでしょう。それどころか、TPPがしめしたように海外からのやすい農産物をジャカジャカと輸入するようしているから、自前の力を死滅させている。その全体としてみると、日本の食料自給率は今や30パーセント台に落ち込んでいる。こんなことは、アメリカでも、イギリスでも、フランスでも、どこにもありませんよ。
誰しも、こうした状態は、おかしいというんですよ。
だけど、その方向にすすみ続けている。それをよしとしている力があるんですね。
「今回のウクライナ問題のように、外国からの原料や食料供給が出来なくなったらどうするんだ」と、心ある知識人・研究者は、前々からこの改善の必要性を言い続けてきているじゃないですか。
なのに、それを無視して、政治は現在の問題ある流れをかえずに、現在の自滅への道をそのまますすみ続けているんですね。
ようするに、これまでも、ずーっと農家の人の要望が、率直に生かされるようなの農業政策になってないんですね。生かすような口ぶりですが、ちっとも生かされてない。そうした事態がずっと続いてきた。これじゃぁ、まともに論議するような気にならなくなるのもあたりまえですね。
まぁ、今回の懇談ですが、
みかん農家の現実が、農家の人の表情にも、語っていることの下にある実際問題が、共通して出されていると聞きました。この現実を何とか改善していく知恵と力が必要なことが、示されていると思うんですが。
そこの肝心なところが足りないんですね。じっさいは逆噴射しているような状態なんですね。忌まわしい事態の方向に、さらにさらに進んでいってます。
まるで氷の上を滑っているような状態なんですね。
ようするに、このままでは、現状の流れは変えれないということです。
しかし、全国のあちこちでは変化がおきていると思うんですよ。このおきている変化の芽をつかむこと、一人ひとりが自分の垣根をとりはらって、共通の問題として話し合うようにすること。全国の経験を自分たちのところにも生かす努力がもとめられており、どんな小さなことでもできうることの第一歩をふみだすこと。それが今や農家の一人ひとりに求められているんじゃないでしょうか。
そんなことが、この懇談の中に示されていたんじゃないか、私などはそう思いました。