誤りが正されるまで問い続ける
10月9日付「東京新聞」に一つの紹介が載ってました。
宇野重規教授が、第三十三代の日本政治学会の理事長に就任されたと。
この記事では、「日本政治学会は1948年、政治学者の全国組織として設立。約1800人が会員として活動している」とのこと。
「宇野教授は、1967年、東京都生まれの55歳。専門は政治哲学、政治思想史」とのことです。
私などが宇野重規氏の名前を知ったきっかけは、2020年10月1日の菅義偉内閣による日本学術会議の任命外しででした。
「なぜ、6名の方は会員に推薦されながら、任命から外されたの?」「どうして?」
当然、だれしもが感じる疑問ですが。
そのことを機会に、宇野重規氏の著作を一冊読んでみました。
任命をはずされている宇野重規著『民主主義とはなにか』を読んで | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
ますます、その疑問を感ずるようになりました。
これは民主主義の制度から見て、誤った政治決定だと判断するのですが。
日本の学術各界も、そのほとんどが「任命拒否の政治決定を訂正すべし」と意思表示しています。
それから時間がたちました。
しかし、首相は岸田氏に代りましたが、引き続きこの決定は訂正されていません。
その気がありさえすれば、「誤り」を訂正するのに十二分の時間がたちましたが、されません。
このねじれは、いったい何をしめしているのか。
政治が学術の声を聞こうとしないということです。
当り前ですが、国民は学術の成果にたって、今の暮らしを営んでいるわけですから、
その暮らしのもとを、聞かないということです。
この誤った政治決定ですが、一刻も早く正されなければなりません。
この異常が、あちこちの事態に蔓延していくということですから。
国民の立場からして、民主主義の制度からして、早期に根本的に正すことが求められています。
晴れやかさを、国民に宣言しなければなりません。
これを、ぐずぐずと、あれこれの理屈をつけて、正そうとしない政治家とは、
その頭のなかは、どの様な構造になっているのか。
このことが問題になってます。
もしも、そうした政治がまかり通るような事態がだらだらと続くとなれば、
それをゆるしている国民や学術は、主権者としての資格があるのか?
ようするに、国民の主権者としての能力・力が、問われているということです。
したがって、
「任命拒否」の誤った決定を撤回させるまで、私などは問い続けます。