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カテゴリ:本棚で見つけたこの一冊
マルクス「ヘーゲル弁証法」批判(その7)、頭の整理 マルクスは、なぜ、どの様にヘーゲル弁証法を批判したのか。 『経済学哲学手稿』、その「ヘーゲル弁証法批判」を対象としているんですが。 というのは、初めこの問題は以前に(2012年に)、8回でまとめたものだから、
その著作にあたると、難解な表現ですし、何を言ってるのか理解するのにややこしいんですが、しかし、ヘーゲルは世界の発展ということを、たしかに洞察していたんですね。 私などは、マルクスの『経済学・哲学手稿』が、その最初の表明だと思ってるんです。 「マルクス・エンゲルス全集」の第一巻、冒頭の諸作品ですが、これを読みました。 『ライン新聞』に掲載された作品です。
「共産主義とアウグスブルグ「アルゲマイネ・ツァイトリング」
しかし、助太刀がありました。 抑圧された名もなき貧民の人権です。言論自由、民主主義的な権利を擁護して、我一人たたかう。何にものをも恐れない気骨ある言論です。 そんなモヤモヤの中での、一册を紹介します。
これは、戦前の「唯物論研究会」の成果を総括しようとしている試みだと思うんですよ。 しかしながら、社会一般を見るのに、そうしたことは、あまり紹介も議論もされることがないんですね。 それじゃぁ、先人たちの努力が、余りにももったいないんじゃないかと。 もう一冊は、古典です。
「考えることのきらいな国民- 日本人は利害にはさといが、理義にくらい。流れに従うことを好んで、考えることを好まないのだ。だから、天下のもっとも明白な道理をも放っておいて、怪しんだことがない。なが年封建制度を甘んじて受け、侍たちの跋扈(ばっこ)をみとめ、いわゆる切りすて御免の暴力にあっても、かつてそれと争ったことがない理由は、まさしく考えることがないからである。だから、おおよそそのすることは浅薄で、十二分の地点につきすすむことができない。」(P381) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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昨年(2023)12月から始まった新テーマの発信も、早くも7回目の様です。12月17日の第一回発信から今回(2024年3月11日)の発信のものまで、再度拝読させて頂きました。課題の多面性を再確認し、それぞれの問題を学ぼうという方向性は、きっと正しいものであり、また、最短の探求方法かもしれません。
それにしても、筆が早い事には驚きます。 最近の私の周りの時間は、超高速で進んでいる様です。特にここ一カ月読了した書籍は 0冊、発信に至っては昨年末月以降 0件。特段のプロジェクトへの参加があるわけではないのですが、成果が見当たりません。時々は、作業の段取りに矛盾が起こります。1→2→3と進むべきところ、1→3→4と進んで?事後的に「2」が抜けているために不都合が生じ、再度、1→2→(3)→4のステップとなる等、一段と「ボケ」が進んでいるのかもしれません。「超高速で進んでいる」時間も、記憶の「中抜け」にあるのかもしれません。 (2024年03月12日 14時40分47秒)
ずいぶんご無沙汰しております。
弁証法、唯物論、現代こそ必要ですね。 哲学を基礎とした洞察力が必要な時代だと思います。 全く、本を読んでいない私にいつも刺激をいただき感謝しております。 (2024年03月12日 17時19分27秒)
渡政(わたまさ)さんへ
目まぐるしてまわりの動きですが、ろくなものじゃないから、たいして気遣う必要なんてありません。 それよりも問題としなれけばならないは、今の自分自身の行程です。 「一年有半」じゃないけれど、われわれも余命は、いくばくもないわけですから、自分の大事とするものを、対象化する必要があるんじゃないでしょうか。そうしないと、自分はなんのために苦労してきたのか、問題のすべてが消えちゃうわけですから。 『資本論』刊行にかけていたマルクスの執念ですが、41ページの冊子を出してみて、1319ページの執念が、わかりました。内容はとても分かったとは言えませんが、剰余価値論だけでもすごいことは感じるんですか。 その人なりの課題ですから、まわりのドタバタなんで気にする必要なしです。 (2024年03月14日 15時35分07秒)
saitoさんへ
『唯物論と経験批判論』『資本論』を、ともかくも踏破したわけですから。 それらの宿題があるわけです。 しかし、もはや残された時間は、少ないですから。 兆民『一年有半』の境地を大事にすべきと、思うところです。 (2024年03月14日 15時40分48秒) |