カテゴリ:誘水日記
こんなふうに生きたいな。
こんな人になりたいな。 そういう目標はいいと思う。 でも、こんなふうに生きるためにとか、こんな人になるためにとか、 目的っていうのは、ぼくは窮屈で嫌だな。 目標と目的。 似ている言葉だけど、意味は違うよね。 ある未開と言われている民族。 狩猟民族だけど、よほどのことがない限り、自分たちがとった動物の肉しか食べないのだそうだ。 でも、庭で野菜を育てていたりする。 食べないのに。 「どうして栽培しているの?」 と聞くと、 「種をもらったから」 というような答えが返ってくる。 ニワトリを飼っている家がある。彼らに鶏の肉や卵を食べる習慣はない。 「どうして育てているの?」 と聞くと、 「もらったから」 というような答えが返ってくる。 彼らは目的があって何かをやるわけではない。 種をもらうとか、鶏をもらうという出来事があって、 それを起点として、 次の行動を決めていく。 決して、目的のために動くわけではない。 行き当たりばったりだけど、 自然というのは、行き当たりばったりがほとんど。 出たとこ勝負できるのが、 ホントの意味の生きる力。 今日は何があるかわからない。 起こった出来事に対応して生きていく。 そんな生き方いいなと、今、思っているところだ。 (参考)奥野克巳さん・高野秀行さん 対談「辺境の「知」の運動はいま」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年09月30日 09時49分27秒
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