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カテゴリ:三国志・中国史
更なる怪異を求めて、漢書3巻から瑞兆・怪異ネタを拾ってみました。
五行志は五行説に基づいた怪異の理由が書いてあって、読み込めば「これは漢書五行志に言う○○の象です」と主君に説明できそうです。 五行志はほぼ異変の記録と説明なので、載せる話は厳選しました。 漢書3 ※本文からの引用は○、コメント★ 五行志 第七上 ○(p36)成帝の鴻嘉三年五月乙亥、天水郡の冀県の南の山で大石が鳴り響き、その音声は隆々として雷のごとく、しばらくして止み、平襄まで二百四十里も聞こえ、野雉が皆鳴いた。 石の長さ一丈三尺、広さと厚さもその長さにほぼ等しく、その一面が崖の脇腹についており、地を去ること二百余丈で、土地の人は石鼓と名付けていた。 石鼓が鳴れば、兵(いくさ)がある。 ★かなりでかい音だったようですね。そりゃ雉も騒ぐわ。 五行志 第七中之上 ○(p69)昌邑王賀が王であったころ、また大きく白い狗が方山冠をかぶってあらわれ、尾がなかった。 ★側に侍っている者が礼儀をわきまえないこと狗が冠をつけているようだという意味で、尾がないのは跡継ぎがない徴だそうです。 ○(p75)昭帝の元鳳元年九月、燕国で黄鼠が自分の尾をくわえながら王宮の端門内で舞うた。 王が見に行くと、鼠は相変わらず舞うていた。(略)鼠は舞うことをやめず、一日一晩で死んだ。 これは燕の刺王旦が謀反してまさに死のうとする象である。 ★ピカチ・・いえなんでもありません。 注によるとテン(鼠の一種。人を見れば拱手し立って礼すという)だそうです。 プレーリードッグみたいな立ち方なんでしょうけど、説明もなかなか怪異ですね。 ○(p77)景帝三年の十二月、呉の二つの城門がおのずから傾き、大船がおのずから転覆した。 これより先、呉王は太子が漢で死んだため、病と称して参朝せず、ひそかに楚王とともに逆乱しようと謀った。 ★門や梁が崩れた話は今までにいくつかありましたが、船が勝手に転覆するのは怖いな。。 2つの出来事が連続して起こったのなら、コントやギャグマンガのオチみたいにも思えてきてしまいますが(←大惨事だよ) ○(p97)昭帝のとき、昌邑王賀が人の声を聞いて「熊だ」と言い、注視すると大熊が見えた。しかし左右の者には見えなかったので、郎中令襲遂にそのわけを問うと、遂が言った。 「熊は山野の獣でありますのに、来て宮室に入り、ひとり王にのみ見えたこと、これは天が大王を戒めたのであって、おそらくは宮室がまさに空虚になろうとしており、危亡の象でございます」 賀は改めさとらず、のちついに国を失のうた。 ★山の中でもないのに、熊の幻覚を見るなんて珍しいですね。 熊と宮室が空虚になる関係はよくわかりませんが、皆熊に襲われたようにいなくなってしまうということ? ○(p100)成帝の河平元年、長安の石良という男が劉音と言う男と同室に住んでいたところ、人のような状のものがその室内にいたので、これを撃つと、狗になって、逃げ去った。 そのあとで数人の者が甲(よろい)を着、刀や弩などを持って良の家にやって来たので、良らが格闘して撃つと、死んだり傷ついたりしたが、それはみな狗であった。 そうしたことが二月から起こり始め、六月に至ってはじめてやんだ。 ★その前に狗の異変は兵乱の象と書いてありましたが、この怪異は犬が武器を持って殴り込みにきてますね・・しかもしつこい。 ○(p100)「左氏伝」によれば、昭公二十四年十月、王子ちょうが周室の宝圭を黄河に沈め、それによって神助を得ようと請い願うた。 翌甲戌、津場(渡し場)の船頭が黄河のほとりでこれを手に入れ、陰不佞が取ってこれを売ろうとしたところ、化して石となった。(略)玉が石に化したのは、貴が賤になろうとするのである。 ★正直じいさんが掘れば玉だけど、意地悪じいさんが掘ればガラクタみたいな話? ○(p102)天漢元年三月、天は白毛をふらせた。(略)京房の「易伝」にいう、「前に楽しみ後に憂えれば、その妖怪として天は羽をふらす」またいう、「邪人が進み、賢人が逃げるとき、天は毛をふらす」 ★きれいな光景かも知れませんが、鼻がむずむずしてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年12月02日 11時25分14秒
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