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せんだって、授業してた時。
平面にあるオブジェクトを左上に移動させる場合、座標のXの値をマイナス、Yの値をプラスするという説明をしてあげたら、そろいもそろってピンと来ない顔をしてやがる。 オブジェクトの水平移動距離と垂直移動距離の数値入力。 学生さんにゃ、そもそもX軸とY軸の概念が無いようなのである。 そんなはず無いだろう、と思ったよ。 コトは単なる平面座標なので、思い出すヒントになるように一次関数のグラフを板書してあげた。 こんなのだ。 平面の座標は中学でやってることなんだ。 案の定、連中はそろいもそろって「あー、思い出した」とか言ってはしゃいだ。 思い出すっていうかさー。 中学校でみーんな習ってることでね。 学校で習うことは世間で役立つキャンペーン実施中のせんだって日記としては、気になる現象である。 わざわざヒントをもらって思い出させてもらわなきゃいけないのはなんでかっていうと、たぶん、学校でやることは実社会に出たら役に立たないから忘れたってかまわない、という思い込みがあるのではないかしらん、と思った。 ほいで、私が平面座標の考え方を覚えていた理由を考えてみた。 学校でも習ったんだけど、ほぼ同時期に、ファミコンゲームをしてたことは無関係ではないだろう。 当時はすべて、ドットで描かれたキャラクターが画面に映り、それを操作するもんだった。2Dなのね。2Dってことは平面座標でキャラクターが描画されるということ。 んで、当時の雑誌の攻略記事にはXY座標の話がフツーに書かれてた。 「この敵は、ツインビーとY座標が重なると体当たりしてくるゾ」みたいな。 y=y(t) ならば x=x(t)に向かって等速移動 というアルゴリズム、でいいのかな。よかないな。x座標の差によってプラスとマイナスのどちらかに向きを変えるってことだな。 平面座標って、中坊の生活に必要な概念だった。 『悪魔城ドラキュラ』というゲームのメデューサヘッドという雑魚が異常に難敵で、それはサインカーブで飛んできて叩き難いからだった。 なんと三角関数も必要な概念だった。 中学までに習うことに無駄はいっこも無いんだけど、それが、社会でも役立つどころか必要だっていう事実の断片が身の回りに無いってことは、かわいそうなことだなと、思うわけです。 ホレ、インドの小学校では、パソコンのプログラムが教科にあるっていうじゃん。平面に幾何学図形を描いてそれを移動・変形させてる。 ってことは、平面座標と加速に関する時間の関数と二次関数の概念が身近にあるということだ。小学生だ。 マウスでドラッグするだけでいっぱいいっぱいの学生がいる私のクラスとは大違いではないか。 世の中には、ローレンツ方程式のモデルを編み物した人もいる。 こういうのは非常に、豊かなことだと思うね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.05.13 00:42:47
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