カテゴリ:旅日記(中国)
話を初日の赤間神宮に戻します。
今度は平家ゆかりの品々などを公開しているという、宝物殿へ。 小さいとは聞いてたけど、ホントに小さかった(笑)。 ここは無人で、入口の箱に拝観料を入れるようになっている。 中は写真撮影禁止ですのでね、写真はありませんが。 仮に撮ってたとしても、ごっそりやられてたと思うし。 うう・・・ まず正面に、きらびやかな装束というか甲冑というか、 キラキラしたものがでーんと置いてある。 名称は「桂甲(かけよろい)」。 昭和天皇ご即位の折の、武官の装束として使用されたものだそうな。 装束自体も大変綺麗なものだったけど、私は「靴沓(かのくつ)」に目がいった。 平安頃の衣冠束帯の靴って、今みたいにフィットしてる靴じゃないからさ~、 デカイの。とにかく。 目分量だけど、縦30センチはあったと思うよ。 いくら男の人だって、分厚い靴下を何枚も重ねばきしなきゃ、 これはパカパカだろ~。木靴だし。 どーやって履くんだろう? 靴沓を間近で見る機会なんてそうそうないので、 興味津々でかがみこんでじろじろ眺めてた(笑)。 この桂甲と背中あわせに「蘇芳縅(すおうおどし)の大鎧」がある。 【平家一門が入水したここ下関には、源平時代の甲冑が残されていません。 そこで国宝の甲冑を復元模造したのがこれです。】 (宝物殿解説より) 大鎧を近くで見る機会もこれまたそうないので、 こちらも脇から覗いたりして、脳ミソに残ってるわずかな大鎧の知識を 総動員して鎧の構造を確かめる。 近年の復元だから、綺麗だしね♪ 見てて飽きないわ~ 正面から入って右手の壁際には、大きな肖像画。 教経様を始め、平知盛、平資盛、平教盛、治部卿局、大納言典侍など、 いずれも最後まで安徳天皇につき従った、平家一門の方々の雅な肖像が ずら~っと並んでいる。 赤間神宮の前身・阿弥陀寺にあった御影堂には、 室町頃にはこういった肖像画があったらしいけど、 ここにあるのは、室町の末に御影堂が再建された後のものみたい。 じゃあ、これは戦火を逃れたものって事なのかな? そしてこの肖像画たちは、往時は木彫りの安徳天皇像を取り囲むように レイアウトされていたらしい。 私は萌えてるから何も変に感じないけど、普通の観光客からすれば、 やっぱりちょっと、一種異様な空間に思うかもしれないね。 奥にも色々ある。 備前在光の薙刀・・・はあったけど、ここは教経様の太刀(伝備前友成)を 所蔵しているはずなのに、確か展示はなかったんだよなあ。 あと、「小枝(さえだ)」のレプリカがあった! これは平忠盛(平敦盛の祖父。大河では中井貴一が演者)が 鳥羽院より賜った笛で、それを笛の名手であった敦盛さんが譲り受けたというもの。 「青葉の笛」ともいうらしいね。 「青葉の笛」は一時、琵琶湖に浮かぶ竹生島に奉納されており、 それを聞きつけた信長様が借り受けたなんて話もある。 それについての書状も残っているのですよ。 【青葉の笛は到来した。まことに見事な名物である。 しばらく手元において見たのち返す。 この笛を当山へ寄進したのは誰で、その子細はどのようなことか、 これに添う小笛の由来についても知りたい。 また静所持という小鼓の胴は雷の蒔絵と聞く。ぜひ見たいものである。 磯野に申しておくのでよろしく頼む】 (「文化遺産オンライン」 様のサイトから) 「磯野」ってのは、やっぱり員昌(かずまさ)さんのことでしょうかねえ? 現在、「青葉の笛」はどうやら、彦根城博物館にあるみたい・・・ だけど、「青葉の笛」の伝承は複数あるらしく、 例えば頼朝さんの兄上の源(悪源太)義平の残したとされる「青葉の笛」が 福井県大野市にあるっていうし、少なくとも信長様が笛をレンタルした時点では 信長様は笛の由来をご存じでなかったってことで、 竹生島にあった「青葉の笛」がイコール「小枝」なのかはわからない。 ああ、信長様はどんな回答を受け取ったんだろ~ 脱線しまくりで何ですが、竹生島には琵琶の名手であった平経正(清盛さんの甥) が訪れて琵琶の演奏を奉納したという伝承もあってね。 経正の奏でる琵琶の音のあまりの素晴らしさにカンドーした明神様が、 白龍となって経正の袖の上に姿を現したという話が平家物語にある。 結構あちこちに、平家ゆかりのスポットってあるもんでしょ? それから、平家物語の長門本(重文)が展示されていた。 本といっても、「赤間ヶ関編(6)」に書いた通りの下関空襲によって 少し焼けちゃってるんだけど。 それをコピーしてつづられているもの。 長門本ってのは、原作者の信濃前司行長が自筆の20巻本を 安徳天皇の御廟に奉納したといわれているもので、数ある平家物語の中でも とりわけ多く写本されて、現在、全国各地に60本くらいの現存があるそうな。 江戸時代もずっと御廟に奉納されたままだったので、 有名な割にはその実態は確かめられないままで、 近年になってようやく研究が進み、壇ノ浦の合戦後800年を記念して 赤間神宮の長門本が複製され、一般にも手に入るようになったんだって。 「平家物語」と一口に言っても、800年もの歴史があるからね、 知ってるようで知らないことってのは、実に沢山あるよね。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年02月02日 21時48分02秒
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