カテゴリ:旅日記(九州)
※「門司城(3)」の続きです。
周回道路に戻って、左へ曲がる。 この辺もいちおう歩道はあるけど、ちょっと狭くなってきたな~。 途中の木々の間からはこんな風景が見えた。 ![]() イマイチ方向がわからないけど、たぶん田野浦の方だ。 壇ノ浦で、戦闘開始前、平氏が船を並べたかもしれないところだ。 ![]() あ~、田野浦も最初は行く予定だったんだけどな~。 田野浦は北前船の寄港地として栄えた港町だったけど、 幕末には長州藩と小倉藩との戦いがあった場所なんだと。 といっても、そのために行く訳ではなく、 「太刀の池」という平家ゆかりのスポットがあるからだったのだ。 結局、ここもカットしたんですが。 由来だけ紹介しておきますと、源平合戦の際にこの井戸(池)に 安徳天皇の太刀を沈めて戦勝祈願を祈ったという伝承があり、 ここから「太刀浦」という地名になったと。 あるいは、平家の武将が血のついた太刀をこの池で洗ったという 伝承から来ているともいう。 この井戸はどんな旱魃の時にも水が枯れることはないそうで、 現在も大切に使われているらしい。 他にも田野浦より南の方にいくつか平家ゆかりのスポットがあって、 そこを回るつもりでしたが、ほとんどカットする羽目になりました。 私の大好きな大内さんちのおかげで(笑)。 さて、周回道路に沿ってぐるっと降りていくと、展望台に出る。 途中、干珠と満珠が見えないかな~と思ったけど、ちょっと展望悪くて 見えなかった。 この展望台は展望の他にも目玉があって、観光案内でも紹介されている。 逃げる義経と追う教経様。 ![]() 源氏方に引き上げられる建礼門院。 ![]() 安徳天皇と二位の尼。 ![]() ![]() この壁画「源平壇ノ浦合戦絵巻」は赤間神宮の社宝「安徳天皇縁起図」を 参考に描いたもので、高さ3m、長さ44m、1400枚もの有田焼の陶板が使われている。 「安徳天皇縁起図」は、「赤間ヶ関編(17)」で書いた、 参詣の庶民に絵説きをしたって、アレね。 ここの展望台の隅っこに、このページの2枚目の写真、 合戦想定図がある。 時間の経過を追ってわかりやすい図だったので、 「赤間ヶ関編(27)」 でもここの写真を拝借しました。 展望台からの眺望はこんな。 ![]() ええ眺めじゃあ~!! ちょうどこの時、中学生くらいの子たちがランニングをしてて、 車道に沿ってヘアピンカーブを右方向へ行かず、 合戦想定図の写真を撮りまくる私の横を過ぎて真っ直ぐ階段を降りていった。 「なんでそっちへ行くかな~」って先生らしきおじさんが ぶつくさ言いながら呼び戻していくのを見ていて、 「あ、この階段、行きに展望台の案内板が出てたところに出られるかも」 って思ったので、そのまま降りちゃった。 ヘアピンカーブの先の山腹には、数少ない門司城の遺構(城門跡)が あったみたいなのに(笑)。 疲れて、すっかり忘れちゃってたんだよね~。ハハハ・・・ ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年12月02日 23時05分27秒
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