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戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年03月14日
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カテゴリ:旅日記(九州)
しつこく粘ってたら、道路沿いの塀の内側に解説板があるのを見つけた。

 【鐘楼趾

  万治2年(1659)小笠原長繁公は父、小笠原長俊公(小笠原小倉藩初代藩主忠真公の
  弟)の菩提を弔う為に、柳村(現在の柳町4丁目)に寺院を建立し、天龍山静泰院と
  号した。明和7年(1770)、高僧蘭山禅師が静泰院(臨済宗)の住職として入山
  されると、禅師の学徳を慕って全国各地から修行僧が集まり、静泰院は北豊第一の
  禅林として隆盛を極めた。

  寛政8年(1796)、蘭山禅師は本山妙心寺から請われて、京都龍安寺の住職となり
  上洛された。その後の静泰院は漸次衰微し、明治初年に堂宇は整理される事になり、
  その折に鐘楼は西生寺境内の此処に移転された。

  昭和16年、第2次世界大戦が起り、梵鐘は軍部に供出、鐘楼も平成2年に老朽化が
  進んだ為に撤去された。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

今はぱっと見、普通のお寺さんだけど、西生寺のホームページには

 【江戸時代に入ると徳川幕府の政策による参勤交代制度で、
  さらに九州の諸大名(島津公、鍋島公等)が、宿をとる事が多くなった。
  当寺も宿場町にあった関係上、諸侯の御休泊をお引請けすることが多かった。】

とあるし、往時は大きくて由緒あるお寺だったんだね~。


再び墓地に入って、きょろきょろ・・・
と、あった!!

       門司・西生寺・福間塚

墓地の入口は2つあるんだけど、山門近くの入口から入ってすぐの所にあった。
も~、こんなとこにあったよ~!

 【福間松

  中国地方の戦国大名、毛利家の家臣として数々の戦功を挙げた福間彦右衛門元明は、
  天正14年(1586)、豊臣秀吉による島津征伐の際に大里の浜に於いて、
  壮烈な最期を遂げた。

  文化3年(1806)、元明の子孫にあたる福間政方はその武勲を表す為、元明戦死の
  場所の松の傍に碑を建てた。その後、碑は転々として昭和15年頃、当寺境内に
  移された。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

まあ、正直言って来たくて来た訳じゃないんだけどさ・・・

福間元明は、毛利水軍の海将として木津川口海戦などで活躍。
でもそれよりは、山中鹿之助を討ち取ったことで有名。

よく「討ち取った」って書かれるけど、あの時は護送中だった訳だから、
「殺害」のがふさわしいと思うけどね。
山中鹿之助幸盛が殺された備中・阿井の渡しは現在はこんなところ。

     高梁川・阿井の渡し3

ユッキー(幸盛)ファンの私としては、福間氏は仇にあたる訳で・・・

まあ、ユッキーのあのあくなきバイタリティーは脅威だし、
政治的判断としては、暗殺はやむを得ないものだったとは思うけど。

元明の遺体は大里の浜に埋葬され、目印として松が植えられた。
享年48歳。

福間氏のために手をあわせて、残るは井戸だ。


境内左の駐車場の手前には、なんか建物がある。

     門司・西生寺・蓮華堂

     門司・西生寺・毘沙門堂

道路に近い方が蓮華堂、その向かいに毘沙門堂。
あちこちに付いてる三階菱は小笠原氏の家紋。

長時の弟の位牌についてはすっかり失念してたけど、
西生寺に行くにあたって色々調べてた時、信濃を追われた長時さんの
その後を知って結構驚いた。

直後についてはあまり詳しいことはわかってないみたいだけど、
一旦は三好長慶の元に身を寄せ、長慶の死後は越後の上杉謙信を頼った。
謙信様の死後は、なんと織田家に迎えられたというではないですか!

そしてあの信長様の京での馬揃えなんて大イベントにも参加してたっていうんだから、
この人もしぶとい・・・いえ、激動の人生を送られたんだな~と
妙に感動した(笑)。


この写真を撮った後、もう一回駐車場の奥まで覗いたら、
井戸のありかを示す案内板があったので、毘沙門堂の脇を通り過ぎようとした・・・ら、
妙なものが目に入って足を止めた。

     門司・西生寺・タモンホール

光っちゃって見づらいと思うけど、『タモンホール』って書いてある。
なんか、ビジュアル的に不思議な名前だな~と首をかしげながら
しばらく立って眺めてて、ふと気が付いた。

ここ、毘沙門堂のお勝手口みたいな所で、毘沙門天って多門天のことだから、
それで『タモン(多門)ホール』なのか~!!泣き笑い

大声で笑い出しだいのを必死にこらえて、井戸へ向かう。

駐車場から本堂の裏手に回り込んで、やっと見つけた。

      門司・西生寺・浜御殿の古井戸

 【古井戸

  この地は元々、細川小倉藩第二代藩主忠利公の浜御殿(お茶屋)であったが、
  その当時の井戸と伝えられている。
  世遷り、小笠原公の代に宿場町にあった西生寺は此処に移り、歴代藩主は
  領内視察等の折、度々当寺へ立ち寄られた。その際にお側役で歌人でもあった
  秋山光彪は、次のような歌を詠んでいる。

    みほとけに くみてさゝぐる いさら井の
            あかぬは浦の みるめなりけり】
  (現地解説板より)

忠利さんは、細川忠興と明智玉(細川ガラシャ)さんの子供さんですよ。

西生寺がこの地に移ってからの詳しい境内図は遺されていないらしいが、
浜御殿跡をしのんで、現在では古井戸の側に茶室が建てられている。


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最終更新日  2012年12月02日 22時55分05秒
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