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戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年08月23日
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カテゴリ:旅日記(中国)
前回のナゾの建物のすぐ隣にあるのがこちら↓。


      福山・素盞嗚神社50



んん?
扁額が2つ、木箱の賽銭入れもふたつ・・・


      福山・素盞嗚神社51



      福山・素盞嗚神社52


左が蘇民神社、右が疱瘡神社。
長屋になってるのか(笑)。


 【蘇民神社

  「備後風土記」によれば、昔、素盞嗚尊がこの地を旅されている時、一夜の宿を
  求めて大きな屋敷を構え栄えていた弟の巨旦将来を訪ねたが断られた。次に
  兄の蘇民将来を訪ねたところ、蘇民は貧しいながらも快く宿を貸し温かく  
  もてなしました。

  年を経て、蘇民将来は素盞嗚尊より疫病厄除けの茅の輪を授けられ、この地に
  恐ろしい病が流行った時、蘇民将来の一族は病にかかることなく生き延びることが
  できました。

  この伝承が基となり、素盞嗚尊をお祀りしている神社では「茅の輪くぐりの神事」が
  行われるようになりました。】
  (現地碑文より)


む~ん、入口にも解説があるんだから、ここいらないべ・・・
せっかく抑えたツッコミの虫がまたうずくではないかウィンク

まあ、入口の長い碑文よりはわかりやすく内容もマイルド。

この類の伝承にディテールの差があるのはよくある話で、
素盞嗚神社のホームページには茅の輪神事を子供向けの絵本仕立てにしたものが
載っているんだけど、そちらの方ではスサノオが蘇民の家を再訪した時、

「ここへ来るまでの間には疫病が流行っていたから、
そのうちここへも来るでしょう。
そしたら、『蘇民の家』と書いた札を入口に貼って、
小さな茅の輪を腰につけなさい。
そうすれば、病気にはかからないから」

と蘇民に教えたとなっている。


災いの相手が疫病だったなら、「蘇民の家」の札より
スサノオの名前を書いた札を貼っておく方が効果ありそうじゃね?

「おっと!
ここはスサノオにゆかりのある家なのか。
アイツは恐いから、近寄らないに越したことねーぜ」


って疫魔も退散しそうだけど(笑)。

ただし、それは疫病とスサノオを別モノとした場合の話で、
実際はスサノオも疫病を司る神なんだから、
殺戮に行使する部下が眷属か疫病かの違いだけ。

考えようによっては疫病の方が無差別殺人だから、
絵本バージョンの話だと一見スサノオは恐くないし穏やかな話っぽいけど、
そのじつ、巨旦の家だけじゃなく、他のお札を貼ってない家々でも
大変なことが起きていたという残酷物語・・・泣き笑い


すいません、別に茶化してる訳じゃないんですよ。

「夢見る現実主義者」の異名を持つわたくしですので、
妙なとこでリアリストなだけです。
・・・て、今日の夢にスサノオが出てきたらどないしょショック
どこかの神社で蘇民将来の札を見かけたら、早めに買っておいた方がいいかな(笑)。


しかし、元は小さい輪っかを付けなさいって教えだったのが、
どうして大きな輪っかをくぐるようになったんだろ?

その理由はわかりませんが、茅の輪を8の字にくぐる時の順路、
あれは実は神主さんがお祓いの時にバッサバッサと振るアレと同じなんだそうな。
神事だから、作法にも色んな意味がこめられてるんだね。



入口の碑文によると、蘇民神社の祭神はもちろん蘇民将来。
疱瘡(ほうそう)神社の方は、「比比羅木其花麻豆美神」とある。

ひひらぎそのはなまずみのかみ。

名前からすると女性っぽい名前だけど、オオクニヌシの5代後の子が
比比さんの娘を娶ったんだそうな。

ただ、肝心の比比さんがどういう神様なのかはさっぱりわからない。
名前は「柊の花の神霊」という意味あいらしいんだけどね。


ううん・・・
ここも神話と関係ありそうだし、何か気になるな・・・
で、語句を変えていくつか検索してみました。


「疱瘡」は、天然痘の古い呼び名ね。
「いもがさ」ともいい、昔は致死率が高かった。

運よく生き残った場合でも「あばた」が残るので、
その痕も含めて疱瘡といったらしい。

皮膚がただれる病態からなのか、梅毒も疱瘡といったみたいだけど、
疱瘡が来日したのは奈良時代頃と考えられており、
梅毒とは全然時代が違う。
が、ここではひとまとめにして「疱瘡」としておきます。

こちらの疱瘡神社がいつ創建されたものかはわからないけど、
疱瘡は古くは疱瘡神によるものだと考えられており、
病人が出たら疱瘡神を祀り、ただひたすら祈ったそうな。

いちおう予防の対策も講じられ、疱瘡神は赤い色を嫌うと信じられていたので
赤い御幣や錦絵を飾ったり、村のはずれに石塔を建てて
疱瘡神を祀ったりしたという。


疱瘡神社は全国にあるようで、ネットで検索できるものをいくつか見てみたけど、
祭神は医薬の神様とされる少彦名命(すくなひこなのみこと)が多いらしい。

この少彦名命、一寸法師のモデルだといわれるほどちっこいらしいが、
実は医薬だけでなく土地開発・農業指導の他に酒造りを教えたり
温泉療養を始めるなど、マルチな活躍をしたスーパー神様。

爆笑モンのエピソードなんかもあるんだけど、
どうも神話の世界になると長話に拍車がかかりそうなので(笑)、
彼については機会をあらためます。


少彦名命の他には、源為朝が祀られる。

は?
ためとも!?
なんで!!??びっくり



結構為朝って人気者なんだよね。
なので、意外なところで突然顔を出すので、
びっくりすることもままある。

なんでも、為朝が伊豆大島に流された際、
よそでは疱瘡が流行したのに大島だけは流行らなかったので、
剛勇の為朝が疱瘡を追い返したという伝承に基づくものなんだそうな。


てな感じで、疱瘡のお社には疱瘡神そのものを祀って鎮めるタイプと、
薬や腕力系で疱瘡神を追い払うタイプと大まかに2種類に分けられるらしい。



比比さんは、ヒイラギの神様。
節分には焼いたイワシの頭と一緒に戸口に飾って魔除けにしたりする。

ここから、ヒイラギのとげとげで鬼を追い払うように
疱瘡神を追っ払ってしまおうという神社なのかな~と推測しました。

それにホラ、蘇民神社の中の小さなお宮は普通の素木なのに、
疱瘡神社のお宮は赤いの↓。


      福山・素盞嗚神社53


これもきっと、疱瘡神が赤を嫌うことから
赤く塗ってるものなんじゃないのかな~。
やっぱ、追っ払い系の神社なんだ(笑)。


しかし、素盞嗚神社って疫病を司るスサノオを祀る神社でしょ?
その境内に、疫病から逃れられる蘇民を祀る摂社があり、
プラス疱瘡を追っ払う疱瘡神社がある・・・

3段構えだよ?
ちょっと厳重すぎやしませんか?

新市(しんいち)付近の詳しい歴史などは知りませんが、
もしかしてこの辺、疫病が多い地域だったのかな?


「穴の海」の伝説については「福山編(15)」で軽く触れましたが、
入江ではなかったとしても、河口に近いし、
湿地帯が広がっているなどの地理的条件があったとしたら、
あるいは疫病が広がりやすい環境でもあったかもしれない。


それとひとつ思い出したのが、かつてこの地に存在した風土病のこと。

病名は「片山病」。
日本住血吸虫症のことで、淡水に棲む宮入貝を中間宿主とする。

つまりは寄生虫による病気な訳だけど、肝臓と脳の炎症が問題で
肝硬変が進むと死に至るというコワイものだそうな。

淡水に棲む貝だから、生息域の川の周辺とか、
その川から水をひいた水田などで感染したという。

神辺平野は有数の穀倉地帯で、
平野を流れる高屋川は宮入貝の生息地帯だった。

この病気の最大の流行地は山梨県の甲府盆地あたりだそうで、
ウィキペデイアによると、山梨では流行ってる地域には娘を嫁に出すな!
な~んて言われて差別の対象になった可能性がある、
ということが書かれている。

え~・・・
あんまりこういうことは書かない方がいいのかもしれないけど、
片山病がおもに流行した神辺平野あたりでも、
同じような偏見があったらしい。


片山病が古代からあったのかはわからないけど、
普通に流行する感染症のほかに、地域独特の感染症がプラスされるとなれば
現実的な疫病対策として祇園信仰がこの地で盛んになり、
発祥の地とされるようになったという推測もアリな気がする。

「現実的な」ってあえて書いたんだけど、
疫病の原因も治療方法もわからなかった昔では、
もうホントに祈るしかなかったからね。

現代では呪術は非科学的なものとされるけど、
当時は特別な作法にのっとった神事、あるいは呪術は立派な現実的対処法。
科学的と言った方がいいかな。

茅の輪神事の記事にトロロヅキさんがコメントを下さったんだけど、
あちらでは足の出し方も決まっているそうで、
古歌を唱えながら回るんだという。

8の字の回り方が幣串の振り方と同じことといい、
茅の輪くぐりは人間チェスならぬ人間お祓いで、
完全な神事、お祓いなんだ・・・とあらためて思った。


素盞嗚神社の入口の解説文でかつては「江隈」、
あるいは「江熊」と呼ばれた地域だったとあったけど、
天平5年(733年)に吉備真備が帰国した時は

「途中、疫隈国社ってのがあってね~」

と報告している。
「江隈」「江熊」の地名とどちらが古いのかわからないけど、
疫病が多かったことから「疫」の字をあてたかな、とも思った。



この地にスサノオを祀ったのは、ただの偶然だったかもしれない。

疫病が多く流行るようになって、たまたま近くにあった神社の祭神が
疫病を司る神だったから、より霊験もあらたかだろうと
どんどん疫病関係の摂社を追加しただけかもしれない。

それでも、茅の輪くぐり・祇園祭の発祥ともされる神社の歴史、
それから3段構えの神社構成を考えると、
風土病とそれに関わる偏見などに長く悩まされてきた地域の歴史の
息遣いが聞こえるような気さえした。

茅の輪くぐりの由来は、話としては眷属行使バージョンのが面白いけど、
案外疫病のマイルドバージョンの方が現実に近いのかもしれない。


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最終更新日  2013年08月24日 15時57分32秒
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