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戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年11月15日
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カテゴリ:江戸めぐり
秩父一族がちらばっていった様子を図にしたのがこちら↓。

  秩父一族分布図-2


大ざっぱなのは相変わらずですが泣き笑い
関東にお住まいの方は川の流れが今と全く違っていることにお気づきでしょう。

鎌倉から北に延びている3本のグレーの線は鎌倉街道で、
これだけを見ると確かに街道沿いの要衝を押さえてるようにも思えるけど、
でも鎌倉街道は鎌倉に幕府ができてからの話だしな。

まあ、それ以前からもこんな感じの道はあったのかもしれないけど、
でもそれよりは川を押さえてるようにも見える。

ともあれ、秩父の山奥から重綱の子孫たちは勢力を伸ばしていった。
現代の感覚からすると、あんな所から!?ってカンジだけど、
江戸の発展のルーツは確かに西の山奥にあった。

秩父の上にある「高山」氏はなんとあの高山右近につながる家系だというんだから、
オドロキですね。


実は、畠山氏の領地には以前行ってましてね。
山をやってた頃は、当然元日から山に登ってましたが、
戦国ジジイになってからは元日は城へ行くか、武将様関連の神社などへ
初詣に行くようになりました。

で、ある年の元日にとある名城に登城した後、
近くにある畠山氏の居館跡とされる所へ行ったのだ。
この時の記事は未公開ですが、城好きとしてはぜひとも紹介したい名城だったので
是が非でも記事は上げねばなるまいと準備だけはしていたのですが、
寛永寺や叡山シリーズが長くなりすぎたのでいまだ公開できず涙ぽろり

最近の記事を書きながら、もうこの際だからこのシリーズの中で
さかのぼりの記事として2つの城を紹介しようかとも悩みましたが、
とりあえずこのシリーズが終わった後にまとめて記事を書こうと思います。

が、ここで先に紹介しておきたいのはその2つの城に行ったあと、
元日だから近くの神社にでも初詣するか~と少し移動して向かった神社で、
東武東上線の東松山駅からほど近い場所にある箭弓(やきゅう)稲荷神社。

社伝によると創建は和銅5年(712)で、先年創建1300年を迎えたという
古刹ですが、その辺りは当時「野久ヶ原」と呼ばれていたそうで、
平忠常が謀反を起こした際に都から派遣された源頼信・・・
馬盗人から馬を取り返したあの頼信さんですが、彼が野久ヶ原に陣を置いて
野久稲荷神社に夜通し戦勝祈願をしたところ、明け方の空に矢(箭)の形の白雲が現れ、
まるで敵を射るかのように飛んで行くのが見えた。
そこで勝利を確信した頼信が猛攻撃をかけて、戦に勝利した。
戻った頼信は野久稲荷に戦勝報告をした上でその神徳を称え、
社殿を建て替えて社名を野久稲荷から「箭弓稲荷」に変えるように命じたという。

武士の戦法や得物(えもの:武器)は時代によって変わっていきますが、
当初は騎馬での弓術だったというのはこの歴バナの最初の方で書いた通りです。
当然、馬を取り返したエピソードからもうかがえるように頼信も弓矢での戦いをした訳で、
だからこそ「野久」を「箭弓」に変えたってことなんでしょうが、
現代ではその読みの「やきゅう」から球児たちの信仰も集めているらしいです。

して、わたくしが行ったのは元日でしかも午後だったので初詣客も多くいて、
現地に行ってから後悔しましたが(笑)、列に並んでパンパンしたあと、
破魔矢を買いました。
フツーの破魔矢とちょっと珍しい破魔矢があって、わたくしが買ったのはこちら↓。


       CIMG3531-2


弓と矢がセットになってるんです。
珍しいっしょ?
お値段は、確かフツーの破魔矢の倍ぐらいしましたけどね。

畠山氏の居館跡に行った時もそれなりに平安末期の頃に思いは馳せましたが、
今回、より詳しい歴史を知って、確かにこの辺りを騎射を得意とした武者たちが
駆け抜けていったのだな~としみじみ思いました。


それにしても、河越(現在の川越)あたりまではいいとしても、
当時の秩父氏の感覚からすると江戸や葛西・河崎なんて方が辺境だったろうに、
よくこんな方まで進出したな~と思うんだけど、
内海(東京湾)に近い方に進出した平氏たちについても、
塩見氏は面白い話を展開している。

 【秩父流平氏は、川越に河越重隆をおいたあと、石浜のすこし上流に豊島朝経を、
  河口の近くに江戸重継を住まわせた。そして、下総の側には葛西清重の館である。
  あたかも荒川という水路を守るために、秩父から出てきたようではないか。】
  (『賤民の場所 江戸の城と川』より)

そして河口に近いところに居を構えた子たちについては、

 【平川の河口の小高い丘に館を建設した秩父流平氏は江戸重継という。当時、武蔵国で
  栄えていたのは、国府の府中、武蔵国一の宮(氷川神社)のある大宮、それに浅草で
  あったろう。「秩父牧」の末裔たちは、そのもっともにぎわっている土地をさけ、
  平重隆が河越(川越)に、清重が葛西に、重弘が畠山(埼玉県大里郡)に、そして
  朝経と重継が、いまの東京の都心部をわけた。この二人もまた、もっとも繁華にして
  豊かな浅草、その近くの港を避けている。しかも両氏はそれぞれ、浅草とたやすく
  交流を持てる位置、北区の中里と千代田区の江戸に館を建設している。

  さきにすこし述べたように、浅草そのものを我慢した理由は、まだそこに世俗権力を
  担った檜前一族の末裔がいたからである。浅草寺は熱心な信仰を受けて聖性を獲得
  していたし、近くの港では関西との交易が盛んであった。この品川と並ぶ港湾を支配する
  経済人はやはり檜前氏の一派であったろう。平重継と平朝経は、浅草に限りなく魅力を
  感じたがゆえに、その場に乗りこむのではなく、その近くの寒村や海浜の丘に館を置いた
  のだ。】
  (前掲書より)

と語る。

塩見氏のこの本は、とても面白い。
ただ、「この話は史料などから拾ったものをベースに推測を展開しているのだろうか?」
と感じる箇所もあるので、本の内容を正面から受け取るのは控えているけど、
それでもブツ切りになりがちな歴史の空白部分をつなぐのに示唆に富む本ではあると思うし、
流れがつかみやすい部分も多いので面白い本だと思います。

もっとも、上の文章で檜前氏が浅草寺の祝(ほふり)になったというあたりは、
塩見氏の独自の推論だと思いますけどね。


して、ようやくのちに発展する「江戸」に辿りつきましたが、
本来「秩父重継」だった「平重継」が「江戸重継」に名を変えたのは
そこが当時から「江戸」と呼ばれていたからでしょう。

江戸重継の居館についての詳しいことはわかっていない。
が、のちの巨城・江戸城ができる場所にあったと推測されている。
もちろん、江戸期の江戸城とはまったく規模が違うし、地形も違っていた。

重継が館を置いたとされるのは江戸期の江戸城でいえば本丸のある場所にあたり、
武蔵野台地の東の端っこで、東にはすぐ海が迫っていた。
さらに北と南にも川が流れ、三方を水に囲まれた小高い台地上にある館だったと思われる。


のちにイエアスが江戸に本拠を定めるまで、
一帯はロクでもない辺鄙な場所だったという風に言われることがある。

しかし、仮に塩見氏の言われるほど浅草が繁盛していなかったとしても、
当時の秩父氏からすれば「イナカ」と映ったであろう内海にまで秩父流平氏は進出してきた。
そして、江戸重継の子の重長は、自分の娘を伊予のあの名族・河野氏に嫁がせたというんだから、
海路を取って幅広い交易に手を出したということだろう。

当時は水ルートが重要だったともいわれ、そのためか水辺に近いところに
複数の子孫が館を置いた。
そうやって繁栄していった館の周辺には人やカネ・モノが次第に集まり、
賑わっただろうと塩見氏は推測する。

とはいえ、重綱の子孫たちはまったくの未開の地にフロンティアしに行った訳でもない。
というのも、江戸重継は館を構えた場所より少し北の高台にいた
土豪の関道閑(せきどうかん)の娘を娶ったという話があるのだ。

関道閑さんは「道灌山城」でもちょびっと紹介してましてね。
日暮里の諏訪台に居を構えていたという土豪です。

ただ、道灌山城の記事でも関道閑の娘を娶ったのは重継とも、その子の重長ともいうと
紹介してますが、詳しいことはよくわかっていないらしく、
平安末期どころか関道閑は戦国時代の後北条氏の家臣だという話もあり、
情報が錯綜している。

ので、付近には確かに土豪がいたという確実なことは言えない訳ですが、
これより少し後、源頼朝が石橋山で敗れて海を渡ってトンズラし、
陸ルートで西に戻りつつリベンジを図ろうとした際には水越えに苦労したようなので、
平安末期頃には葛西~江戸付近は河口でいくつもの川が分流する
かなり水っぽい土地ではあったのだろう。
であれば、武蔵野台地の北東端にあたる諏訪台あたりに土地の有力者がいても
不思議ではないと思う。

ま、関道閑のことは置いておくとしても、江戸氏が伊予の河野氏と縁組をしたことは
確かなようなので、海を渡って手広く交易をしていたとは言えそうだし、
新天地で江戸氏があらたな経済的発展をしたのであれば、
館周辺もそれなりの活況は呈していた可能性は十分にあるだろうとは思う。



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最終更新日  2015年11月15日 22時28分39秒


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