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戦後の教育改革

2009.04.04
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カテゴリ:戦後の教育改革
堀尾輝久著『いま、教育基本法を読む 歴史・争点・再発見』(岩波書店、2002年刊)の引用・紹介を続けます。

〔引用〕
 本来の教育行政は、こういう実践を行うためには、こういう条件が必要なのだという教師の教育の内容や実践についての要求に耳を貸し、条件を整えていく責務をもつものであり、教育と教育行政のこのような関係こそが、つくられるべきだと思うのです。

 そのためには学校の実情がよくわかる地方教育行政の責任は大きいのであり、そのために教育委員会法(1948年)では教育委員に公選制がとりいれられ父母・住民・教師の教育条件整備にかかわる意向を直接に反映させるようにしたのです。

〔コメント1〕
 この教育委員会法も戦後における教育の民主化の重要な柱となるものであり、その第一条には教育基本法十条の文言がそのまま取り入れられています。

 「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものであるという自覚のもとに公正な民意により、地方の実状に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする」

 しかし、このような法の精神はその後、しっかりと尊重され具体化していったのでしょうか。残念ながら答は「否」ですね。

〔引用〕
 戦後の教育史においては教育の自律性を保障すべき教育行政がその任務を超えて、教育の自由の精神を踏みにじり、管理を強化してきたといえるのです。そしてその歩みが、特に1955年頃を境に大きく進められていき、その動きの中で、この十条解釈が大きな争点になってきているのです。(・・・)

〔コメント2〕
 仮に時の権力(政権担当者)が教育を思い通りにしようと考えた時、妨げになるものは何でしょう。いうまでもなく戦後の日本においては、教育基本法十条(およびその精神をそのまま反映した1948年の教育委員会法)でしょう。実際、政府(政権政党)によって行われたのは、十条の解釈を変更し、その精神に反する法を制定することでした

〔引用〕
 「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」が、1954年、国会に警官隊を導入して強行採決されて、制定されます。これは、(・・・)基本法の措定する国家と教育の関係、そして国家権力からの独立という意味での教育の中立性の原則を大きく変え国家は中立の保持者として、何が偏向しているかを裁く地位につく、という大転換を意味するものでした。(・・・)

 もう一つは、1956年に教育委員会法が改正され、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が通り公選制の教育委員会が任命制に変わったのです

〔コメント3〕
 創意工夫しながら教育を自主的に創っていく権限を、地方に、教育現場に、国民(地域住民)に、という戦後における“教育の民主化政策”は、このように大きく転換し、“教育の中央集権化”が進められていくことになります

 その背景となる政治情勢はどのようなものだったのでしょうか。

 戦後、資本主義陣営と社会主義陣営が激しく対立するなかで、米国の対日政策が当初の「民主化・非軍事化」から「日本を極東の(軍事的)防壁にする」という方向へ転換し、日本の再軍備と「防衛力増強」を強く求めていくようになった、ということが真っ先に挙げられます。

1953年の朝日新聞に載った池田・ロバートソン会談覚書の一部を紹介しておきましょう。

(一)日本の防衛と米国の援助
 会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるように日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである。

 当時の政治家(政権政党)によって結ばれた上記のような合意を具体化していくための手段として教育が位置づけられ「教育の民主化」から「教育の中央集権化」へと教育行政の方向が大きく転換していくことになったのです。

 制定後60年経って行われた「教育基本法改正の強行採決」についても、そのような歴史を踏まえて理解していくことが大切であると考えます。

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2009.03.28
カテゴリ:戦後の教育改革
まず、3月22日の記事「フィンランドという鏡に映る日本の教育 2」の末尾の内容を確認しておきます。

 1949年の『文部省設置法』では、文部省を(・・・)「従来の中央集権的監督行政の色彩を一新して教育、学術、文化のあらゆる面について指導助言を与え、またこれを助長する機関」と説明してある。そこで、戦後は「学習指導要領(試案)」と名づけられたように、学習指導要領は各学校における教育課程編成のための参考資料(指導助言文書)に過ぎないと見なされた
                        (『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』206頁)

 実際の教育は、現場の判断が極めて重視されていたのである
 このような立場は、1990年代の「教育大改革」以降のフィンランドの立場に極めて近い。(同書 210頁)

 なぜそのような戦後の教育改革が成立したのでしょうか。1947年に成立した「教育基本法」が文字通り教育行政機関によって“実行”されていったことが大きいと考えられます。そのことについては、『いま、教育基本法を読む 歴史・争点・再発見』(岩波書店、2002年刊)に著者堀尾輝久氏の要を得た説明がありますので引用・紹介しておきます。

第10条(教育行政)   〔1947年に制定された教育基本法の条文-引用者
(1)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
(2)教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

 教育の自由と自律性 本条は、ある意味ではもっとも論争的な、それだけに重要な条項です。
 この条項が設けられたのも、戦前の、教育行政のあり方への深い反省に基づいています。
 帝国憲法と教育勅語のもとで、教育行政は、地方の実情を無視して中央集権化され、しかも内務行政と固く結びついて、教育行政の独自性がそこなわれていました。(・・・)

 戦後改革期の文部省の法令研究会の10条解説の中にも、戦前の教育行政制度の問題点について次のように述べていました。

「この制度は、地方の実情に即する教育の発達を困難ならしめるとともに、教育者の創意とくふうを阻害し、ために教育は画一的形式的に流れざるをえなかった。

 又この制度の精神及びこの制度は、教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、逐には時代の政治力に服して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であった。

 (・・・)このような教育行政が行われるところに、はつらつたる生命をもつ、自由自主的な教育が生まれることは極めて困難であった
              (文部省、教育法令研究会編、『教育基本法の解説』、1947年)。

 本条は、このような反省に立って、教育の自律性と教育の自由を保障し官僚統制や外部の圧力に屈することなく、教師が不断の研究と修養に基づいて、多様な教育実践を創りだすことをめざしそれを励まし、その条件をととのえる任務を持つものとして教育行政のあり方を定めたのです

 以上、この部分だけでも長い引用になりましたが、このような教育基本法の精神と戦後教育改革の原点を確認しておくことには大きな意味があると考えます。

 福田誠治氏は日本における戦後(戦争直後)の教育改革(教育の民主化、分権化)は教育大改革以降のフィンランドの立場に極めて近いと述べていますが、まさに戦後教育改革は「すべての権限を現場へ」という教育の民主化から始まったのです。

 なぜそれが変わっていったのでしょうか。それを考える上ではまず、教育がその時々の政治によって大きく左右されたり利用されやすい(そのような強い傾向がある)ということについて認識しておく必要があると考えます。

 なお、教育の中立性に関連する記事をよたよたあひるさんもブログ記事でまとめておられますのでぜひご一読ください。

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