「戦後80年談話」について
まず、「石破首相による戦後80年談話」をめぐり、二つの記事を紹介したいと思います。 「石破首相 戦後80年 平和構築のためのメッセージ出したい」 石破首相「適切に判断」戦後80年談話 要するに、1「首相としては閣議決定しない形であっても談話を発表したい」が、2「党内の保守派を中心に安倍総理の『70年談話』で片が付いているので不要」という主張があり、内容等について石破首相としては「適切に判断する」とのことです。しかし、「70年談話で片が付いている」というのは本当でしょうか。不十分な点が大いにあったと考えています。しかも、2025年の参院選で「自虐史観をやめさせる」といった方針を掲げた参政党が躍進したことを考えると、2015年当時からあった同様の主張について検証することも必要でしょう。 今から10年と半月前、「70年談話」にも(控えめに)触れながら、「新しい歴史教科書をつくる会」の集会内容や、そこで私が発言した事柄について公開した記事がありますので、以下(二回にわたって)再掲いたします。〔再掲1〕 「戦後70年談話」で安倍首相は「歴史に真正面から向き合うこと」を強調しましたが、果たして言行を一致させることができるでしょうか。安保法案を何が何でも成立させようとすることや、歴史にまともに向き合っているように思えない育鵬社の教科書を推奨したり・・・。「談話」の内容にも結構突っ込みどころがあります。 (→末尾の注) ところで私は一か月以上前になりますが、「新しい歴史教科書をつくる会 」が主催する講演会「演題:日本を取り戻す教育」(講師:高橋史朗)に参加しました。 めったに聞く話ではないので、その内容を要約しておきます。〔( )内は、私の心のつぶやきの一部です。〕 自分は、渡米してGHQの文書を読み込み、研究してきた。そこからわかったことは戦後GHQが、徹底的に日本人を洗脳し「義眼」をはめこんだことだ。例えば、靖国神社はA級戦犯が合祀されているから問題だといわれるが、そもそも「戦争を起こした罪」によって〔指導者を〕戦犯として裁くということは、当時の国際法からしても成立しない。 『菊と刀』・・・ルース・ベネディクトのという戦略的論文がある。 日本人には「内なる道徳律」がなく、世間の目(恥)が実質的な善悪の基準だという。 日本の軍国主義(集団同調主義)は本質的なものとして日本人に染みついているという趣旨の記述もあり。日本に来たこともないルースがなぜ日本人の本質について語れるのか? おかしいではないか!(中国・現地での聴き取り・取材・資料のまともな検討もしていない「特定の日本人」が、なぜ「南京事件」の虐殺は虚偽だなどと断言できるのでしょうねぇ:私) 朝日新聞をはじめとする戦後のジャーナリズムを見ると、日本人がいかに「義眼」をはめられ「自虐史観」の染まっていったかがよくわかる。従軍慰安婦は嘘であったにもかかわらず、韓国が問題として激化させている GHQによって日本人は罪の意識を埋め込まれた。 「原爆投下は戦争犯罪である」といった主張は言論界でも抑圧された。 朝日新聞などは早い段階で「義眼」をはめこまれ、自己検閲をしてしまっている。(そのような教育によって洗脳されたのは「ベトナム戦争」「イラク戦争」などに際しても一切米国を批判できない歴代首相では? 日米安保条約に基づいた「地位協定」という国際的にみても不平等な実態に関して歴代総理大臣が一言も発しないのは、ある意味「洗脳」状態にあるのでは? 「日本を取り戻す」というなら最低限見直し発言ぐらいすれば?:私 ) 「反日」の日本人が多い背景にはGHQによる洗脳がある。自虐的な教科書が横行している現実を変革していかなければならない。 日本人は東京裁判を正当化する「太平洋戦争史」に毒されてきた。日本人の弱点はこのような実態への批判的精神に乏しいことだ。「太平洋戦争史」に教師たちは反論していない。武士道の精神が残虐行為につながったなど、誤解が横行しているにも関わらず。 講演の要約は以上〔講演会後、我慢できずに私が発言した内容〕 中学に通っている子どもがいるが、私は自由社や育鵬社の教科書で学ばせたいとは思わない。子どもには「世界に通用する論理」を身につけてほしいからだ。「偏狭で自己中心的な観点から」自国の立場を強調する歴史を学ぶことは本当の誇り・「愛国心」とは無縁だと思う。 まず、「世界に通用する論理」について例を挙げたい1、「戦後50年」を機に来日したワイツゼッガー元西ドイツ大統領の演説 彼は、ドイツも日本も勇気をもって自らの歴史と向き合うべきことを強調すると同時に、連合国が勝つために行ったことの全てが正当化されるわけでは決してないことを主張した。 東京大空襲等の無差別爆撃や原爆投下などを想定。2、「東京裁判」におけるパール判事(しばしば右派に都合よく利用される)の論理 日本軍国主義は欧米帝国主義の悪しき模倣であり、いずれも道義的には許されないことであると厳しく主張すると同時に、当時の国際法には「戦争を起こした罪」を裁く観点は明記されておらず、「事後法」によってA級戦犯を有罪とすることはできないと主張した。 いずれも世界に通用する論理だと思う。偏狭な自己正当化を主張する歴史観が世界に通用するとは思えない。 続いて、自国の行為・歴史の見方について、日本とは別の事例を挙げたい。 私は過去に参加した原水爆禁止世界大会で、ある米国人のスピーチに感銘を受けた。彼女は、米国によって行われた「原爆投下」、「大空襲」を厳しく批判する(当時の米国人は日本人のことを「黄色い蛆虫」と呼んでいた!)と同時に、第二次大戦後、米国がベトナムやイラクで行ったことについて激しく非難していた。米国で彼女は「愛国心の足りない者」、「自虐的で不当に米国を貶めるもの」と非難されるかもしれない。しかし、このように真正面から自国の犯した犯罪行為に向き合う姿勢こそ、尊敬に足るものではないか。(自由社や育鵬社の教科書はどうだろうか?) 最後に、「軍慰安婦」の問題について発言したい。仮に軍による直接的な韓国人女性の強制連行の証拠が見つからないとしよう。しかし、慰安婦制度には根本的な問題がある。そもそも韓国併合条約には「(日本による)韓国人の保護義務」が明記されている。 慰安婦の多くが「業者等に騙されて連れてこられた」ことはよく知られた事実であるが、「騙されて連れてこられた人たち」は当然(警察・軍隊によって)保護され解放されるべきである。しかし、現実には一人の逃亡も許さない形で慰安所の中に拘束された。これは、明らかに「韓国人の保護義務」に反することを国家(軍隊)が行ったのではないか。(「性奴隷制度」という批判に反論できないのではないか?) 私の、質問・意見は以上でした。 講師の反応は省略します(一部「70年談話」と重なるような発言もありました)が、「そのような考えもあるんだ」という空気が会場に流れ、最後に主催者が、「先ほどのような質問・意見は私には出せない観点でした」とあいさつするなど、話はしてみるものだという「手応え」を得ることはできました。 (注)例えば談話の途中に出てくる「・・・危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」などは日本の自慢話ですが、この時代についてインドのネルーは以下のように証言しています。安倍談話がしっかり「歴史に向き合うもの」といえるのかどうか、ということですね。ネルー著『父が子に語る世界歴史3』大山 聡訳 みすず書房(1975 10刷) 日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。その苦い結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した。日本は開国の当初から、すでに朝鮮と、満洲の一部を、自己の勢力範囲として目をつけていた。もちろん、日本はくりかえして中国の領土保全と、朝鮮の独立の尊重を宣言した。帝国主義国というものは、相手のものをはぎとりながら、平気で善意の保証をしたり、人殺しをしながら生命の神を聖公言したりする、下卑たやりくちの常習者なのだ。〔引用以上〕 なお、日露戦争以前に行われた日清戦争(まさに大日本帝国が東アジアの植民地化に乗り出した最初の本格的戦争)に関する私自身の授業実践はこちらです。)にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など