競争しても学力行き止まり 2 -イギリス教育の失敗とフィンランドの成功-
このたびの「連載」は主に『競争しても学力行き止まり』(朝日新聞社)の紹介と、それを通して「日本の教育改革」について考えていくことを目的としたものですが、本文に先立って、まず、日本におけるこの間の「教育改革」に対する私自身の立場を明記しておきます。 「全国学力テストの実施と結果公表」の問題、「学校選択制検討」の問題、「学校評価や人事考課」の問題等、いずれについても競争をあおるだけでは(競争をあおることを主眼におけば)大きな問題を生み出すだろう、という考えは以前から持っていました。 その考えは、自分自身の体験や実践・これまでの読書体験などによって形成されたものですが、このたび『競争しても学力行き止まり』-イギリス教育の失敗とフィンランドの成功-(朝日新聞社)を読んで、自分自身の危惧は「20年間のイギリスの教育改革」によって「現実」のものとなっている、ということを強く感じたのです。 従って、上記著書の内容紹介は同時に「自説を論拠とともに提示する」という性格を持っているということをあらかじめ明らかにしておきます。 確かに、複数の文献・意見(例えば『イギリスの教育改革と日本』高文研 など)を参照することで事実をていねいに検証したり、自説を一部修正することも大切なことでしょう。 しかし、日本における「教育改革」の今後を考える場合、「イギリス教育改革」のもたらした負の側面を検証することは不可欠であり、とりわけ「改革」に賛同する人は『競争しても学力行き止まり』で示されているような幾多の事実を踏まえ、今後の構想を示していく必要があると考えています。私自身も1、「改革を見直していくか」2、「現在の流れで(当面)進みつつ、イギリスでおこったような問題点を回避していく道をきちんと見出していくか」という二つの道のいずれかを選ばざるを得ない、と考えます。 さて、イギリスでは「全国統一学力テスト」の実施・公開とそれを背景にした学校間競争、地域間競争によって、どのような問題点が生み出されていったのでしょうか。 上記著書の引用をはじめます。 「イギリス社会は、現代でもなお階級制度を色濃く残している。」「(学校選択性や学力競争の推進は)ある意味では労働者階級にも学力競争のチャンスを与えようとしたことになる。ところが、実際に、学校選択を積極的に利用し、競争社会で実をあげられたのは、子どもに充分な教育を用意できる余裕のある中産階級であって、労働者階級あるいは下層階級は取り残され、ますます格差は広がりつつある。」〔21頁( )内は引用者〕 イギリスにおいても「教育改革」の目的は国家を挙げて教育に力を入れ、子どもたち(生徒)全体の学力を伸ばしていくことでした。しかし、この政策が現実にますます格差を拡大していると著者は言います。それはなぜなのでしょうか。引用を続けます。 学校選択制度は可能性を低める〔48頁〕 イギリスのある新聞の相談欄には、こんなやり取りが掲載された。質問「私の地域の学校は悪いランクです。いい地域に家を買ったほうがいいでしょうか。それとも、そのお金を家庭教師に使ったほうがいいでしょうか」答え「引っ越したほうがいいでしょう」 こうして人口移動が起きる。 人気校周辺の不動産価格は3割も高騰し、人気校には裕福な家庭の子どもしか通えなくなった。バラ色の学校選択も、自由を行使できるのは一部の人に限られるのが実態である。〔49頁〕 つまり、全国統一学力テストの結果公表と学校選択制の導入は、おそらく国民の中に「教育はサービスとして消費するもの」という意識を高めていったと考えられますが、「よい教育」を受けられる「消費者」はごく一部の裕福な国民に限られていった、というわけです。 そして、学力テストの平均点が低く「よい教育を提供できていない」学校が攻撃された結果、次のような「統合教育の後退」が起こりました。 1997年3月、10万人の生徒が「破壊的である」ので特別学校に移して授業すべきだという声明を、当時イギリスの第二の規模の教師組合(・・・)が発表した。特別措置の必要な生徒の教育を普通学級で行うといういわゆる統合教育は、30年近くイギリスで追求されてきた。(・・・)ところが、サッチャー教育改革以降、事情が違ってきた。学校は競争させられるのである。そのためには普通学級に在留して手を焼かせる「問題児」が邪魔になってきたのだ。〔24頁〕 普通学級は、いわゆる主流学級と表現される。そこから特別なニーズのある子どもたちははじき出され、「特別学校」といういわゆる養護学校に入れられる。さらに両者から放校処分を受け、籍を抜かれた者は、「児童生徒受け入れ施設」に入れられることになる。(この施設に通う生徒数 2000年で9,700人、2003年で12,005人)〔25頁〕 さらに、学力テストで高い得点をあげられない学校が周囲から責められ続け「過剰説明責任で校長は疲れている」〔37頁〕という状況が生まれています。 イギリスでは、教師だけでなく校長も学校ごとに募集され学校ごとに採用される。ところが、困難が予想される学校には教師のなり手がない。 なんと2006年現在で、学校長の採用ができないため、50万人以上の生徒が管理職のいない学校で教わっているという。 全英校長組合(NAHT)の調査によると、1200以上の公立学校が専任校長なしで運営されており、学校の「過剰勤務という文化」がこのまま続くなら、4分の1の校長は辞職したいと言っているという。〔44頁〕 校長になるような教職員の多くが「職業意識の低い不適格教員」であるはずはないと思われますが、上に示された状況はまさに「異常事態」ではないでしょうか。もし仮に、「地域の学校の『低学力』を克服していくために、学校内外で一緒に協力していこう」という機運が高まっていけば、このような事態は起こらなかったでしょう。 しかしながら、「学校選択制」の導入によって、「教育サービスの提供を受ける消費者」という意識が強化され、「地域の教育をともに創造していく主体」であるという意識が後退した結果、「『学力テストで高い得点をあげられない学校や校長』が一方的に攻撃を受ける」といった状況が生まれたのでしょう。 以上、「イギリス教育改革の生み出した問題点」をいくつかあげましたが、私たちはそれをしっかり踏まえつつこれからの教育を構想していく必要があるのではないでしょうか。 次回は、生徒の学力が実際にどうなったのか、というデータも含めて紹介したいと思います。(3に続く) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑よろしければ投票していただけますか(一日でワンクリックが有効です)