人権とは〔ウロコ先生のコメントを含め一部再掲〕
湯浅誠は「5月4日のお知らせ」の中で「人権」について次のように語っています。 「義務を果たさずに権利を主張するな」「権利の上にあぐらをかくな」の「権利」は民法上の請求権などで「人権」ではない。人権は、すべての人間があぐらをかくもの。義務を果たす対価としてではなく持っているもの。だから「天賦」と言った。 これは感覚的にはわかりにくい。「西洋かぶれ」と言われるが、西洋人だって感覚的にはわからないんじゃないかと思う。だから「普遍的理念」といったりするんだろう。わざわざ「神聖不可侵」と強調するんだろう。 (引用以上) 私(=「しょう」)としては、貧困を放置しない根拠として「生存権を含めた人権」を挙げるのは妥当な発想だと考えます。 (以下、再掲) さて、このような「人権思想」や万人平等思想も明らかに人間固有の「文化」であるわけですが、一体これらは、いついかにして人間社会の中に登場したのでしょうか。一般的には西洋近代の「自然権(天賦人権)」思想から、といわれます。 しかしながら、竹内芳郎によれば歴史上初めてそれらを人類にもたらしたのは古代に誕生した「世界宗教(普遍宗教)」です。 そもそも人類は、これまでどのような宗教生活を体験してきたのでしょうか。『文化の理論のために』の中で竹内は次のように述べます。 まず「国家と文明」成立以前の部族共同体宗教(原始農耕宗教)、そのもっとも基本的な特徴は、ここでは宗教が共同体の与える社会規範形成と全く一体化している、という点にある。(人々は作物の豊凶を大きく左右する自然の力を恐れ、あらゆる自然物に内在する「神」に向かって豊作を祈願したり、収穫を感謝する祭・儀式を行った。例:大和政権が成立する以前の「様々な自然神」への素朴な信仰)(・・・) 「国家と文明」が成立してくると、人類の宗教生活も一変する。(古代専制国家を支える国家宗教の出現、例:天武天皇が行った大嘗祭に象徴される「国家神道」や、中東で成立した「ユダヤ教」)(・・・) 国家と文明の成立期とは、人類が初めて金属器を手にして大量虐殺に乗り出し、(・・・)このとき、今まで自分を庇護してくれた共同体の莢から放り出され、日々大虐殺の脅威にさらされることとなった悲惨な民衆を、その裸で無力な〈個人〉の姿のままで救済してくれる宗教として登場したのが 「世界宗教」(普遍宗教)である。 (例:古代ローマ帝国で急速に広がったキリスト教) 〔以上『文化の理論のために』361頁~363頁( )内は引用者〕 このように、竹内によれば、無力な個人をその悲惨な姿をそのまま栄光に逆転させる奇跡を行ったものは、「世界宗教」の力であり、世界宗教(普遍宗教)とともに「人権思想」もはじめて登場するようになるのです。 「人権思想とは、人間の尊厳はその社会的役割などにはなく、かえってそれを脱ぎ捨てた裸のままの個体そのものにあるとするもので、(・・・)個体が個体としての自覚に達するためには、個体が裸のまま直接超越的普遍者(神)の前に立ち、普遍的価値を分与されるという、以前にもましてはるかに広大な社会的想像力が発動された(・・・)」、というわけです。 (例:「新約聖書」の次の箇所) さて、「自然権」の思想をもたらしたのは近代の「啓蒙思想」であると言われます。周知のようにこの「啓蒙思想」は中世の宗教を中心とする世界観をするどく批判・否定したものと見られがちですが、単なる「否定」ではありません。ヘーゲル(『精神現象学』)によれば、啓蒙は「信仰との対決を通して(宗教の持つ)絶対性・普遍性を自らのうちに取り込んでいった」のです。 例えば「フランス人権宣言」は「至高存在」(「前文」に記載)の前で次のように宣言されたものです。1、 人間は生まれながらにして自由かつ平等な権利を持っている。(・・・)2、 あらゆる社会的結合の目的は天賦にして不可侵の人権を維持することにある。(・・・) そして、その基礎となった「アメリカ独立宣言」にも次のような記載があります。 われわれは自明の真理として、全ての人は平等に造られ、造物主によって一定の奪いがたい天賦の人権を付与され、その中に生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。 以上のように、近代以降確立されたと言われる人権思想の基礎には「世界宗教」(普遍宗教)があり、それを通して「あらゆる社会関係から離れた裸の〈個人〉」がはじめて救済の対象になったわけです。(例えば「どの国の兵士か」に関わりなく治療活動を行う「国際赤十字運動」が欧州で広がっていった背景にキリスト教があったことは、明らかではないでしょうか。) 欧米近代は「超越性の原理」(人権思想を含め「共同体の利害を超えた普遍的な原理」)を根拠に「市民革命」を通して社会をつくり変えていったわけです。 再掲は以上 上記文章に対する「ウロコ先生」のコメントはこちらです 記事とコメントでこの時に私が強調した点は、「啓蒙思想」が宗教と対決しつつも、その「普遍性」を自らのうちに取り込んでいった、ということです。 啓蒙思想は「至高存在」とか「造物主」という言葉・視点を持ち出しながらも、「人権宣言」という形で、いわばキリスト教の信者でなくても受け入れられるような形へと「超越性の原理」を再構成していきました。 これは、宗教の持つ絶対性を取り込み、普遍化する作業だったともいえるでしょう。 しかし、そもそもなぜ「世界宗教」が生み出し、「啓蒙思想」が受け継いだ万人平等思想・人権思想が普遍的な原理として多くの人々に受け入れられていったのでしょうか。 人間は「自己意識」を持っており、本来「自らのあり方を選択・決定していく自由な存在」であること、他の人間も「自由で対等平等な、相互に承認すべき存在」であることを意識・自覚できるからではないでしょうか。 紀元前73年の古代ローマで大規模な奴隷反乱(スパルタクスの乱)がおこったのも、「殺し合いをさせられたり、拘束され抑圧されるのは不当であり我慢できない」(本来は自由・平等であるべきだ)という体験・確信があったからではないか、と考えるのです。〔なお、上記哲学者竹内芳郎著:『討論 野望と実践』が、2013年3月、発行されました。すでに第2版も印刷・出版されています〕 にほんブログ村 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) 〔 「しょう」のブログ(2) 〕もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)