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カテゴリ:子ども、教育
わが家の長男も中学生に。
私もおよそ一昨日、入学式に出席した。
あいにくの雨で、残念、桜をバックに記念写真、とはならなかったが。
長女も通った中学校ではあるのだが、長女の頃は丁度コロナ禍と重なってのこともあってだろう、彼の中学校の印象はいささか乏しい。
式中歌われた校歌も、初めて聞いたような気がした。
また、職員の多くが、2年前まで、長女が通学していた頃とは入れ替わっていたように見えた。
昨年だったか、大きな不祥事があったこともあってだろうか、と勘繰ってしまうが。
入学式は、まぁ、いわゆる紋切り型である。
途中、校長、PTA会長、式が終わってから、学年主任、教室に戻ってからは担任から、お話をたくさん賜る機会がある。
ああいうところで話すのもご苦労やな、と思わんでもないが。
一様に感じるのは、力み、というか。
肩に力の入った姿勢である。
中学生本人たちよりも、大人の方がどこか氣負っている雰囲気が伝わった。
それも、純粋な情熱とは異質なもの、だ。
一昨日のブログにも多少表したことだが。
当事者を追い越して、サポートをする側や、周りが勘違いに熱くなると、ろくなことがない。
病人に対する看病人、医療従事者然り、である。
医療で言うならば、当事者、病人の自ら治ろうとする氣力が萎えて、どこか他人事、誰かが治してくれるもの、という錯覚に陥る。
まさに現代の日本では、そういった現象が広くはびこってしまっている、と認識する。
自分自身、その人生に対し、どこか他人事、客観的になっている、とでも言おう人が多いのでは。
その要因は、親や教師が、子どもの要求を追い越して施す、家庭教育・学校教育に多分にあるのではないか。
それらの教育を経て育った大人が、医療従事者にも、患者にもなるから、広まって然り、だ。
もちろん、親にも、教師にもなる。
もっとも、生きていれば、いろいろあるもので。
パンデミック(感染爆発)の如き、そうした現象の拡大も、乗り越える力が人にはある。
更には人と人の関わりにはある、と言える
出会いによって、それら教育による洗脳が解け、氣力を取り戻し、自ら溌剌と生きる方へ舵をきってゆくこともあるからだ。
私自身がそれを経験しているし、類は友を呼ぶのか、そういう知人は決して少なくない。
氣力がそこそこあて、鈍りがまだましなうちは、皆実のところ、どこか身体で、この路線はおかしい、と感じているはずだ。
それを頭で理屈をつけて、見て見ないように、隠して生きている(そこが身体より頭を優位に教育する、そもそもの洗脳による癖、なのだが)ことが多いに違いない。
生じている問題と向き合うことで、覚醒の呼び水となる、人との出会いが訪れるものである。
その問題とは、身体の不調であることも珍しくない。
氣力があり、それ程鈍ってなければ、頭との不和に、身体が何かしらサインを表現するだろう。
明響庵の活動も、単純な治療を超えての、覚醒の呼び水を自覚する(いささか我田引水だが…)。
話を中学校の入学式に戻すと。
入学生の退場曲は、なぜか、忍たま乱太郎(アニメ)の主題歌で。
忍たま乱太郎は、せいぜい小学生低学年向け、という印象のため、中学校の入学式の締めにはどうか、と。
誰やねん、この選曲は…と思わず眉をひそめずにはいられなかったが
入学生の中にも、これには苦笑いを浮かべ、やや恥ずかしそうに退場してゆく子もちらほら。
わが子も、何で忍たまやねん…と心の中で突っ込んだ、と後に語っていた。
子どもも、ある程度までは、大人の虚構にやむなく付き合ってくれはするが。
それこそ、どっちが大人か、わかりはしない、締まらない話、ではないか。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 治る力、即ち生きる力を活かし、育む 整体処 明響庵(めいきょうあん) https://ja-jp.facebook.com/meikyoan/ https://page.line.me/vtf9624a ご予約・お問い合わせ0836-39-6275
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2024.04.11 01:26:33
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