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テーマ:IBD(炎症性腸疾患)(92)
カテゴリ:家族のこと
お見舞いに行ったら、大手術をしたというのに信じられないくらい回復していて、 「遠くから何しに来たの。必要ないから帰りなさい。」と言われましたよ そして、例によって若い医師や看護師さん相手におちゃらけている父を見て、 元気になったことを実感しました。 そういえば、父が難病を発症した17年前、私が長男の手を引いてお見舞いに行ったら、やっぱり看護師さん達を相手におちゃらけていて~私は「奥さんですか。」と誤解されたのでした。 (我が父は、私が生まれるまで、ハワイヤンバンドでスチールギター弾いて歌っていた軟派。売れなかったので、食べて行くために転職。 母とは学生結婚だったから、私は若い時の子だというのもあります。 子供の頃は父親らしくない父が恥ずかしかったのですが、今では個性的と感じるようになってきました。 私が福祉という堅い仕事を選んだり、ダのような堅い職種の人を相手に選んだのも、軟派な両親を持った反動かもしれません。母の話はまた。)
妙に若々しかった父も、17年の病気とのつきあいで、さすがに老けたのか、今回は娘と言って驚くスタッフはいなかったけれど。 私が行ったら、医師から驚きの説明が。 当初の入院予定だった2ヶ月が早まって3週間になったとか。 (直人さんのイベントに合わせて行った私が遅すぎたのか~) 横浜の専門病院は全国から患者さんが来ているとのことで、父の病室の患者さんは全員「炎症性腸疾患」という病名が書いてありました。→横浜市立市民病院 大腸に関しての説明は、今までかかっていた大学病院よりわかりやすかったとのこと、さすがですね。 不思議なことに、潰瘍性大腸炎で今まで厳しい食事制限があったのに、全摘したために何でも食べていいようになったとのこと。 「これで牛乳が飲める。」って、お父さん、牛乳なんて好きだったっけ 父は、仕事も再開するつもりらしく、気力もあったので良かったです。 父の病院を出た後、横浜駅で、湘南新宿ラインに飛び乗ったのですが~ 反対方向でした (逗子行きでした~長男の住む藤沢に戻るならいいのですが・・・) 電車の乗り換えに自信のあった私は凹みましたよ~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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