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marie claire koreaサイトより
【よどみなくイ・ジュンギ】(full ver.) 2016.8.24 今までみたイ・ジュンギの姿は開始に過ぎない。 彼は今まで俳優人生のきわめて一部だけ見せただけだ。 ![]() 相変らず多くの人が<王の男>の、イ・ジュンギを記憶する。 王の愛を受ける男を演技したのでこの若くて新しい俳優の登場は騒がれるだけ騒がれたし、‘コンギル’の残像はかなり濃厚だった。 それから11年という時間が流れた。 中国で封切りした映画<シチリア陽射しの下>の舞台挨拶のために中国に行って昨日帰ってきたという彼は今年封切りした中国メロー映画のうち初日スコアだけ問い詰めれば最も良い成績をおさめたという便りを伝えた。 忠武路(チュンムロ)の視線を一身に受けて登場したイ・ジュンギは多くの作品を消化して休まないで駆け付けたし、中国でも俳優としてかなり堅固な地位を固めた。 そのような彼が自身の開始点である史劇にまた戻る。 中国小説<歩歩驚心>を基に再解釈したファンタジー史劇ドラマ<月の恋人:歩歩驚心麗>でイ・ジュンギは後日高麗の光宗であり太祖王健の四番目の息子である第4皇子を演技する。 また、ファンタジーで史劇かという質問に彼は早い呼吸で明確に答えた。 “その間多くのファンタジー史劇に出演しました。 これまでのチェ・ヨンギや歩みが大衆に失望を与えたとすれば明らかに再び選択してもらうことができなかったでしょうが、相変らず私を探して私に対する信頼があるということはそれでも今まで作品を良くしてきたという傍証のようです。 そして今回いよいよ王になります。(笑い)もしかしたら若い日の史劇では最後かも知れないです。” 質問の前に躊躇するよりは速い速度でよく整理された考えを詰まることなく解きほぐす彼は、もう少し多くの作品で今までとは別のイ・ジュンギをお見せしたいという今後の目標に対して話した。 この間イ・ジュンギの多くの作品を見てきたと思うならば誤算だ。 彼が俳優として生きていく日々の開始を見ただけだ。 ![]() 再びファンタジー史劇だ。 史劇だが色々な面で以前の作品らと違う点も多い。 <月の恋人:ポボギョンシムうと>には多様な人物が登場する。 以前には主にワントップにした作品を導いていく一人の人間の成長期をたくさん演技してきたとすれば、今回は多様な人間群像とバランスを合わせて行く。 ドラマの背景が高麗時代なのに、この時代を描いた史劇は私も初めてだ。 初めて王になったりもする。 宮中暗闘という点も個人的におもしろかった。 宮中の微妙な葛藤と政治的な渦巻きを細かく描き出した作品だ。 自身のフィルモグラフィーを満たした作品のジャンルが多様でない点が惜しいこともある。 多様な感情、多くのアクションなど見どころが豊富な作品を主としてきた。 反面穏やかなヒューマニズムがあるドラマやロマンス物は別にして見られなかった。 時々そのような作品を沢山したらどうだっただろうかという気がするが、とにかく今まで良くやってきたと考える。 当時にはそんなことを入れるには私が準備できなくなっていたようで、私が持つ長所で作品を作るのに面白みを感じた。 今や始めてから多様な経験を積んだしそれと共に私自身がもう少し丈夫で緩やかになっているようだ。 今後引き受ける作品では見せることがさらに多いことという確信があるので、焦りはしない。 年も取ったしそれだけ成熟して入れることができる感情がさらに多くなったので今から他の色の作品に出演しても遅くないと考える。 幼い時は同じ年頃に比べて幼く見える私の顔が俳優として心配だったこともある。 ところで歳月が流れて、その間演じてきた作品が重なって内面の空白がより増してもう少し男らしくて爛熟していったようだ。 今まで見せたが、より見せることが出来なかった私の多様な姿が多い。 その間現代劇でも史劇でも、体を使うキャラクターが多かった。 私の長所はよく知られているが、私は体を使うアクションを得意とする。 舞踏でもアクションでも上手にするので、そのようなキャラクターを選択したわけだ。 だが、このような長所を使うことができる時間がいくらも残っていない。 すでに30代半ばであるからだ。 私が沢山の物を持っているなら、それらを使うことができる作品に注ぎたい欲がある。 ![]() ![]() SNSに誘って熱心にした。 ファンたちと疎通するための事? SNSでファンたちと疎通してみると私が満たさなければならない部分や指向しなければならない物などを悟ることになるようだ。 また、お互いがお互いに慰労になり慰めになる空間でもある。 もうファンたちは私に大切な友達のようだ。 また、彼らに感謝する心をそっくり伝えることができる空間でもある。 このように作品以外に芸能番組や行事の場所のようなところには姿をあまり表わさないが。 俳優としてもう少し真剣に私の領域にだけ集中したかった。 まだ俳優として進まなければならない道、やり遂げなければならないことが多くて、事実芸能感覚も良くないようだ。(笑い)まだ準備があまりできてないと考えたようだ。 それでも作品を広報して人々にもう少し身近に近付く必要もあるので少しずつ芸能番組に出てみようと思う。 あまりにも楽天的でユーモラスな面もあるので上手に出来ると思う。 デビューしてすでに10年を越えた。 美しい少年を演技して忠武路(チュンムロ)の最も熱い新人だった時期もあった。 今までやってきた作品の中で最も大切な作品を挙げるならば何か? 今の私を作ったすべての作品が大切だが<王の男>は一生記憶される作品ではないかと思う。 あの作品ではなかったとすれば今のように祝福受けた人生を享受することができなかっただろう。 あの作品のおかげで多様な作品の提案を受けて幸せに悩んで過ごすことができたと思う。 今後もあの作品以上のことを見せるためにずっと努力するだろう。 <王の男>はもしかしたら私が越えなければならない山であり目標点だ。 ![]() ![]() 映画<華麗なる休暇>時のようにもう少し私たちの世界と近いイ・ジュンギが見たい。 そのような作品に対する渇きはないか? 当然喉が渇く。 だが明らかなことは、いまだに見せることが出来なかった私の姿がとても多いということだ。 俳優イ・ジュンギの人生は今後も蒼々としている。 今後さらに多様な作品で演技することでその作品を通じて世の中と疎通するだろう。 今後はそのような渇きを満たしたい欲がある。 俳優生活を今後一日二日加えることでもないから、落ち着いて多くの作品をしながら多様な人生を描いてみるだろう。 観客に慰めになることができる価値ある作品もたくさんしたい。 そのように見れば今まで騒々しいスキャンダル一つなく俳優で生きてきた。 騒々しい芸能界で静かに過ごすことは容易ではない。 俳優だと言うなら責任感と義務感を持って私生活を管理しなければならない。 もちろん薄氷板のような世の中で不安だったり緊張感を下ろすことも大変だ。 長時間私だけの方式で激しく管理してきたし、嘘のような習慣が体に自然に馴染んでいて不便なことはない。 ただ、もう少し人間らしく生きてみればどうだろうか、そうすべきでないだろうかと思う考えは沢山するほうだ。 俳優という人を描いていく人間なのに人間らしく生きることができなければ結局偽物だけを描き出すのではないかという考えがある. 熾烈に生きてきた。 その時間にはスランプの瞬間もあったんだろう。 三十になる前の頃にひどい人生史を経験した。 永らく頼った人々に背信に合ってそのために訴訟に巻き込まれて財産を失うこともした。 法廷戦いで心が疲れて大変だった時間だった。 その時だけでも今に比較すれば幼なかったので、その時間を勝ち抜くのに更に骨を折ったかもしれない。 それでもその経験のおかげで、今はメンタルがかなり強くなったし、人生を眺める目が緩やかになって私自身が固くなったようだ。 神は人間に勝ち抜くことができるだけの苦痛だけを与えるというのではないか。 人生というのは、絶えず続く波の中でその荒波を乗り越える方法を習っていくことだという気がする。 失望して挫折すれば落伍するだけだ。 もう肯定的な気持ちで楽しもうと努力する。 そして今の私は幸せな方だ。 ![]() 今日撮影が終わって家族の集まりに行くと聞いた。 家族をとても忘れて生きてきたという気がした。 激しく働きながら暮らすので両親と兄弟を全く取りまとめられずにいるよ。 両親の健康も以前には及ばないのが見える。家族がないならば生きるのが意味があるだろうか? 両親と共にした思い出がないならば両親が遠く離れた時どれくらい悲しいだろうか? 家族は有り難みを表現することができる関係であるべきで、ある日ふと振り返ってみるのでそう出来ずに生きていたよ。 それですぐに実践に移した。 もう毎年家族皆で海外旅行をしている。 両親と子供の間という理由だけで自然に互いをよく分かるわけではない。 共にする時間がなければ何も知らずに過ごす間になり得る。 もう家族と大切な思い出を作っていくために努力して生きている。 両親に愛らしくて誇らしくて有難い息子として記憶されたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
August 27, 2016 02:18:35 PM
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