いいことが何一つなかった李氏朝鮮!!
最近、”歴史通”という本を読んでいたら…韓流はウソだらけ…という記事に目が留まった。史実無視のフィクションということだ。なんでも史書に記述が乏しい。でも少しくらい史実と違っても楽しめればいいいのではないかという意見もあるけど…いやだいぶん違うようですよ。そして、そうも言ってられなくなったようだ。韓国の場合、歴史ドラマは、歴史認識論争と表裏一体です。確信犯的に過去を美化し、自分達の歴史の正統性を主張するためのドラマを国策として送り出す傾向にあるようです。僕は、嫌韓だから、ぜんぜん見ないけどね。K-popもぜんぜん流行っていないのに…テレビで垂れ流されているのは、ちょっとどうかと思うけど…まあ、少女時代とKARAは売れているようなので良しとしておくけど…俳優は、ぺ・ヨンジュンくらいしか知らない。それはさておき…李氏朝鮮の歴史について考えていきたいと思う。僕は、全く不勉強で…申し訳ありません。さて以下、李氏朝鮮の歴史について…”歴史通11月号”から一部抜粋させていただきました。ちょっと、アレンジもしちゃったけど…↓↓↓↓李氏朝鮮の歴史は、それは悲惨なものでした。派閥争いが絶えず、科挙官僚はライバルを蹴落とす事ばかり考え、相手の小さなすきをついてはその一族を根絶やしするというようなありさまで、500年にわたって政治も文化も停滞したままでした。(そう、これが日本が統治する前の朝鮮なのです。)朝鮮の身分制度は、両班・中人・常民・賎民・奴婢に分かれるようです。そして、支配階級である両班は、一割にも満たない。明に加担してモンゴル(北元)と高麗王を裏切り、李氏朝鮮を建国した李成桂は、韓国人は、絶対に認めようとしませんが、実は満州の女直人です。(そうです。李氏朝鮮を興した人物は、朝鮮族ではないのです。)高麗時代には、朝鮮半島はモンゴルの一部だったので、貨幣経済も発達し、食生活も豊かだったようです。でも李氏朝鮮になったとたん、鎖国状態になり、文化は停滞。技術革新も嫌い、羊もいなくなり、国全体が貧しくなった。特産品がないので、明に朝貢するときには、女官と宦官を差し出すのです。要するに人間しか財産と呼べるものがなかったようです。(李氏朝鮮の前は、豊かな暮らしをしていたようですね。この500年という長い期間、明や清の属国だったわけですが…ひどい仕打ちを受けてきたようです。)そういう何もいいことがなかった五百年の歴史のなかから、史書の一行か二行を取り出して明るく美しく描いたのが『宮廷女官チャングムの誓い』と『ファン・ジニ』というわけです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・文章で見ると、どれくらい悲惨だったかは、伝わってきませんが…写真で見るとうむうむと納得してしまう。まあ写真は、日本統治前の明治の頃の写真ですよね。ネットで流れているので、だれでも見ることができる。ところで、先の大戦の開戦時と終戦時に外務大臣だった東郷茂徳氏は、鹿児島出身でもともと朴茂徳という名の朝鮮人でした。5歳の時、姓を東郷に変えた。だから、戦前の日本には、朝鮮人に対する差別はなかったと思うよ。(念のため)日帝時代に日本の外務大臣が朝鮮人だったなんて…びっくりですよね。戦後は、朝鮮人があまりにも醜いことをしたので…差別も仕方がないと思うよ。そういう経験をした人たちが数多くいるうちは…これもそのうち調べて記事にするけど…あまりにも醜いので止めるかも…・生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)・富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)あげれば…きりがないのである。まあ、”真実を書いたら…なんで、避難をあびるのか!!”ってどこかで聞いた様なセリフ。まあ、いっか~。とりあえず、今後の勉強の為、課題を提議しておきます。