統一教会人の貧民生活(その5)・・・勤労青年たちには????
もうすぐ、ボーナスの時期を迎えますね。統一教の勤労青年たちには、ボーナスを自由に使う事ができない。そう、完全主管されているからだ。つまり、完全に管理されているということだ。まあ、ボーナスなんてないよ。という人たちもいると思いますけど・・・・特に、ホームに入居して、それなりにがんばっている人ほど・・・すべて管理下に置かれています。今月の給与明細を渡し、十分の一条献金をきっちりと納め、その他、入居費を納め、その後、個人の献金をすることになる。想像すると、ほとんど残らないだろう。統一教系企業の物品を買うにも、アベルと言われる人たちに相談して許可を得なければならない。却下される場合も数多くある。こういう生活をしていると、自分でだんだん考えることが出来なくなる。ちょっとした事でも何でも相談するようになる。(相手の思う壺だ)僕は、こういう生活が苦しくて(?)、ある意味献身したようなものだ。最初からお金が無ければ・・・苦しむ事も少ないだろう。お金を稼ぐから、献金を強要される。若い頃は、それでもいいが・・・それなりに年齢のいった人たちは、悩む事になるだろう。僕が献身していた頃には、勤労青年の中には、30代を超えた、兄弟姉妹が少なからずいたように思う。普通なら、6000双や6500双を受けていてもおかしくない年齢だ。昔は、献身者しか、祝福は受けれなかったですね。(30000双から誰でも祝福を受けれるようになった。)そういう30代を超えた兄弟姉妹の霊の子の中には、6500双のマッチング家庭がいたりして・・・僕もそういう話を聞いた時は、”すごいですね”とよく言ったもんだ。しかし、こういう兄弟姉妹がそのままってのは、よくないよね。今は、どうしているか不明だけど・・・その兄弟姉妹たちは、祝福に対して・・・二の足を踏むような感じになっているみたいだったね。年齢がそれなりに高くなって・・・”もういいや”という思いになっているみたいだったね。あっと・・・こういう話ではなく・・・ボーナスの話でしたね。昔、会議なんかで、この時期、”いかにして青年たちのボーナスを献金させるか。”と青年部長が悩んでいた事を思い出す。学生上がりの献身者なら、何も悩まず、ガンガン献金を強要していただろう。少しでも社会経験のある献身者なら、まあ、少し悩みますよね。勤労青年たちのことを少しでも心情的に感じるアベルだったら・・・まあ、関係ないですね。その青年たちの行く末を心配しながら・・・合掌つづく。