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テーマ:鈴鹿8耐(78)
カテゴリ:鈴鹿8耐
1983年 世界グランプリでキングと呼ばれたヤマハのケニーとのチャンピオン争いは最終戦までもつれこみ、若干21歳のフレディーがチャンピオンを獲得。 1984年 新しいモノ好きのホンダは新機構満載のNSR500を投入したが、実戦では前衛的すぎたNSR500がハンデとなり、フレディーはチャンピオンを逃す。 1985年 フレディーは250ccと500CC、両クラス制覇の偉業を達成。 1986年 フレディー右手首故障で彼のグランプリは大きな転換点を迎える。 ホンダのエースはガードナーに奪われてしまう。 決勝でトップを1周だけ走った時は”予選用のタイヤを装着して走った”などとののしられるも・・。 その後引退、そして復帰・・しかし、思うような結果を残す事は出来なかった。 1992年夏の鈴鹿、ガードナー最後の8耐、HRCの秘蔵っ子、伸び盛りのビーティーと組む。 ゼッケン11、OKiホンダ、ダリル・ビーティー、とてつもないタイムを連発し、トップを独走。 真夏の鈴鹿のコース上にトップビーティーに迫るタイムで後方から追い上げるマシンが一台存在した。 ゼッケン33 赤い1年落ちの1991型ワークスマシン、ミスタードーナツ・オクムラホンダのRVF750。 かつて”燃え尽きた”と呼ばれた天才ライダー、フレディー・スペンサー、その人であった。 1992年鈴鹿8耐にファースト・フレディーが戻ってきた。 ”ドタキャン”、”嘘つき”・・などと陰口をささやかれた事もあった。 しかし、この年のフレディーはそんな単語は一切無関係。 ”優勝”という目標には届く事が出来なかったが、転倒しても決して諦めない・・ 久々の”ファースト・フレディー”に鈴鹿のファンは狂喜した。 ☆ 1992年の鈴鹿8耐は最後の最後までもつれた8耐 ホンダ同士のガチンコ対決。 つまらんチームオーダーは一切ナシのバトルでした。 Motorcycle racers”1992 RVF750 OKI HONDA ワイン・ガードナー/ダリル・ビーティー” '92 鈴鹿8時間耐久ロードレース 1/7 '92 鈴鹿8時間耐久ロードレース 2/7 '92 鈴鹿8時間耐久ロードレース 3/7 '92 鈴鹿8時間耐久ロードレース 4/7 '92 鈴鹿8時間耐久ロードレース 5/7 '92 鈴鹿8時間耐久ロードレース 6/7 '92 鈴鹿8時間耐久ロードレース 7/7 ☆ ウィキペディアフリー百科事典”フレディ・スペンサー” 鈴鹿サーキット”徳永茂さんのベスト・オブ・8耐” BLOG SCUDERIA OKUMURA”16年前にタイムスリップ” BLOG SCUDERIA OKUMURA”Freddie Spencerがスクーデリアオクムラに来てくれました” 秋吉 耕佑ブログ”FIRST FREDDIE ” RACERS~2月24日発売『RACERS』Vol.8進捗報告5~”フレディ、来たーッ!” Blueforce”8耐黄金期Photoコレクション” All About”スペンサーがNSRで鈴鹿を走った!” 盆栽エイプでいこう!”鈴鹿8時間耐久ロードレース ” 1992鈴鹿8耐スペンサーのイラスト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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