カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
リチャード・ドレイファスが「未知との遭遇」を撮りながら、同時に撮ってて、こっちの方で“アカデミー主演男優賞”を受賞してしまったという作品。
でも、作品は完全に相手役のマーシャ・メイスンのものです。 それもそのはず、脚本がマーシャの夫である劇作家ニール・サイモンだからです。 もともとニールが妻マーシャのために書き下ろした舞台劇を映画にしたものです。 監督はハーバート・ロス。 舞台を映画に作り直すというパターンはウデイ・アレンの「ボギー!俺も男だ」と同じ。 ハーバート・ロスは“何でも屋”なので、こういうオファーには都合いいんでしょう。 だから、ニール・サイモンの作品と言ってまったく問題ありません。 ニールのマーシャに対する愛情がにじみ溢れています。 彼は彼女のこういうところに惚れちゃったわけね、と言う部分がそこかしこに描かれ、こんな愛情表現ができるなんて羨ましいことです。 マーシャはこの時たぶん35歳ぐらいで、かわいいと言ったらおかしな年齢なのですが、かわいいんですね。 10歳の連れ子のクイン・カミングスの方がよっぽど大人に見えます。 もっとも、ニール・サイモンはこの時50歳、15年下の妻はかわいかったでしょう。 んっ、50歳といえば今の僕の年齢ではないか。 35歳がかわいくみえるかなあ? 篠原涼子は33歳だったかな。 市村正親は57歳ぐらいだから、このカップルは上を行ってますね。 深津絵里もそれくらいだったかな。 「博士の愛した数式」の先生は64歳でした。 50を超えると老境が間近に感じて、そうなったら深津絵里がいたら嬉しいなとは思います。 “若い大人の女性”と言うことなれば、やはり30代がいいですね。 でもそこで突如、上戸彩が現れて、どちらか好きな方お持ち帰りしていいよとなれば、う~上戸彩? 若い女を見ると目の色が変わる、ドラゴンボールの亀仙人はただのギャグと思ってましたが、だんだんそれが真理だと解ってきました。 オスがメスを追い求めるのは、ひとえに己が遺伝子の受け入れ先を模索するがため。 出来れば、若くて生存能力が高い卵子が望ましい。 そういったDNAの記憶が、紛れもなく存在するのです。 人類は他の動物より知性が発達し、異性に対する評価基準も多様性を備えることが出来ましたが、いかんせんDNAは若きメスを追い求めるプログラムになっています。 僕の経験的感性では20歳がベストで、後は年齢相応に低下していきます。 あくまでDNAの話で、個人の判断基準ではありませんよ。 やっぱり、中沢裕子より後藤真希を選択してしまうのです、DNAの場合は。 でもそれは、遺伝子結合という目的に特化した条件の結論であって、35歳と20歳とどっちが会話をして楽しいかと言うこととは関係ありません。 上戸彩や後藤真希となに話せばいいのよ。 だいたい、上戸彩や後藤真希は絶対50歳のおじさん相手にしないし、彼女らのDNAも若いオスの精子を求めているはずです。 結論として、金の無い50おじさんが20の女性と恋愛することはありません。 遺伝子の摂理から言って。 だから、上戸彩は捨てて、深津絵里に期待しましょう。 女性も30を超えれば、男の内面の価値に理解を示すことができるはず。 こちらも、遺伝子の伝達が目的でなければ、女性の内面の価値に基準を置きましょう。 絶対その方がいいって。 今日は話が逸れまくってしまいました(なにかあったんでしょうか) え~「グッバイガール」は題名通りにはならず、ハッピーエンドの物語です。 だから、他人の幸福に対し妬みやすい人以外は幸せな気分になれます。 映画はいいですよね、ハッピーなままエンドを迎えられるから。 実際のマーシャとニールは4年後に離婚することになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月22日 21時33分21秒
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