カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
昨夜、女子高校生とソファーにもたれながら「のだめカンタービレ」を見ました。
女子高校生は、僕の娘です。 でも、少し緊張しました。 二人きりでしたから。 娘は父親を嫌ってはいないので、ぎこちなくもそのままツーショットで見ていたのですが、やらしい場面の無いドラマでよかった。 彼女は時々笑いながら見ていましたが、おじさんの方は何をどう捉えていいのか、引きつってました。 もともと、職場の女の子が面白いと言っていたのを聞いて、そのこに取り入ろうと言う下心で見たわけですが、話題にすると墓穴を掘りそうです。 予備知識を得ようといくつか娘に質問をすると、原作のコミックを見せてくれました。 原作と、どこが同じでどこが違うかを説明してくれました。 やっぱり、話題にするのはやめとこう。 で、そのドラマが終盤になった時、流れてきたのがガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」 「のだめ―」を知らない人のために一言書いておくと、これは音大生のドラマで、メインは当然クラシック音楽なのです。 だからガーシュウィンが流れてきたら“?”と思ったわけですが、何か関係があるんでしょうきっと。 それで本題ですが、「ラプソディ・イン・ブルー」と言えば、ウデイ・アレンの「マンハッタン」です。 僕にとって「ラプソディ・イン・ブルー」は「マンハッタン」以外はありえません。 製作は79年なので、計算するとウディは44歳です。 それが、こともあろうか17歳のマリエル・ヘミングウェイ(文豪アーネスト・ヘミングウェイの孫です)と同棲していると言う設定です。 二十歳の女性に心ときめかせている僕ですが、流石に17歳って… 娘と同じじゃないか! 会話が成り立たないと思います。 “会話”ってお互いの引き出しから宝物を見せ合うようなものなのに、17歳じゃ引き出しの中まだそろってないでしょ。 結局、こんな宝物を集めるといいよってアドバイスな話に流れてしまい、説教くさいオヤジになり下がるだけだと思います。 しゃべりすぎて、いつのまにか自慢話をしている自分に気づいた時の恥ずかしさってないもんなあ。 こちらが一方的にアウトプットしてしまう関係は疲れると思いますよ。 で、ウディも疲れてきたんでしょうね。 大人の女のダイアン・キートンに浮気心を出します。 いや、もともとマリエルとも浮気なんだから、浮気の浮気? でも、大人の女にはあしらわれて、結局純真なマリエルの心の尊さに目覚めるんですね。 本編を見たときは、自分がこんなになるなんて実感無かったんですが、いざ男の終盤を迎えてみると、疲れるけどもう一度本気で“愛”してみたいという“憧れ”がじわーと生まれてきてはいます。 “無償の愛”という形態にならざるを得ませんが。 しかし、実生活のウディは愛を求めます。 なんと、ミア・ファローの養女のスン・イー・プレヴィンと3度目の結婚をしてしまうんです。 スン21歳、ウディ57歳。 どうコメントしましょうか。 “愛”をつらぬいた(現在進行形だから難しいですが)二人を賞賛すべきでしょうか。 直感的な印象である“変態”で片づけましょうか。 世間では犯罪ですしね。 実際ミア・ファローから訴えられています。 親娘だしなあ。 もし、自分の娘に、こんなオヤジが手を出そうとしたらぶん殴ります。 もっとも、若い男であってもぶん殴りたくはありますが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月24日 09時56分47秒
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