カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
「ローマの休日」のDVDの広告を開くと、『アメリカが生んだ最も素晴らしいラブストーリーベスト100』4位、とキャッチが入っています。
では『アメリカが生んだ―』の1位は何だったんだろうと調べてみると、「カサブランカ」でした。 42年作なので、このコラムでは範疇外(一応60、70年代の映画に区画していたもので)、でも話のついでに載せさせてもらいます。 若い人にはどっちみち古い映画としか認識ないでしょうし。 ウデイ・アレンの「ボギー!俺も男だ」のもとになっている作品です(第42回をご参照下さい) アメリカ人が愛して止まない作品で名台詞も多々あります。 『君の瞳に乾杯!』 『昨日の夜はどこにいたの?―そんな昔のことは忘れた―今夜会えない?―そんな先のことは解らない』 『ルイス、これが美しき友情のはじまりだな』 そして 『サム、あの曲弾いて…』 これら名台詞に加え、精緻な構成による脚本に対し、米国脚本家組合は『偉大な脚本歴代ベスト101』で、1位の栄誉を捧げています。 なんですけど、実はこの脚本、クランクインの段階ではまだ出来ていませんでした。 原作の『だれもがリックの店に来る』に沿って撮影をしながら、書いて撮って継ぎ足してという、泥縄方式。 三谷幸喜もびっくりの付け焼刃シナリオだったのです。 結末がどうなるのか誰もわからないまま、あたかもドキュメンタリーのごとく撮り進められました。 なぜこうなったのかというと、42年は第2次世界大戦真っ只中。 フランスはドイツに占領され、連合国は崖っぷちに追いこまれた、まさにジャストタイムのシチュエーションの話だったからです。 もともと国威高揚目的で企画されたものなので、かかわった関係者誰一人、この作品がアメリカ映画の金字塔になるようなものになるとは思っていませんでした。 ボガードも、自分が何のシーンを撮っているかわからないまま、監督の指示通り動き台詞を言ってました。 あの、感情のこもらないクールなハードボイルドスタイルはそんな背景から生まれた芸風だったのです。 はっきり言って、僕の好きなボガードはこの作品だけです。 他の作品は「麗しのサブリナ」同様、しっくりこないのです。 あまりにこの“リック”がはまりすぎて。 サブリナが、ボガード演じるライナスのレコードを勝手にかけた時、『その曲はやめてくれ―』って、ボガードのために書き足したシーンでしょ(もともとケーリー・グラント用に書いた脚本だったので)、このシーンだけでライナスの人物が描けてしまいます、まさに「カサブランカ」効果。 (だから、何度も言いますが、ボガードとオードリーが結婚するっておかしい) 同じくイングリッド・バーグマンもこの“エルザ”はものすごくいいのですが、他の作品は僕にはやっぱりしっくりこない。 でも、バーグマンも撮影中は気乗りしていなくて、微妙な演技になっています。 エルザが“元彼”のリックの元に戻るのか、“今彼”のラズロについて行ってしまうのかわからないまま、どっちつかずになり、それがまた揺れ動く女心を表現することになり、結局名演技と評価されます。 結末のシーンは何パターンか撮ったというので、飛んでいくセスナを見送るリックの隣にエルザが残っていたというバージョンもきっとあったのでしょう。 バーグマンはこの撮影現場のあまりのひどさに落胆し、完成作を見ていませんでした(エルザがどんな決断をしたのかを知ったのはなんと30年後でした) その他検閲で撮りなおしたりなんじゃらの大変なドタバタ作品でしたが、アメリカはもちろん、世界中のファンに感動を与える大傑作が誕生しました。 それは、ひとえにリックの選んだ道にあります。 迷うエルザにリックは言います。 「俺たちには、パリの想い出がある」 と、涙隠して愛する人を恋敵のもとへ送り出します。 エルザとラズロはいずれ愛も冷め、お互いどろどろに憎みあい別れることになるでしょう(何故か決め付けてますが) でも、エルザの心の中には、永遠にリックへの愛は灯され続けるのです。 もちろん、リックも二人の思い出を胸に、幸せな晩年を迎えます。 人生で最も大切なものは、“心の宝物”です。 この宝物ひとつで、苦しかったこと辛かったことすべてが報われます。 まあ、想い出のすべてが美しいわけではありませんが、自身の心の中だけのものですから、多少創作してもかまわないとは思います。 ということで、 「君の瞳に乾杯!」 ―追記― “愛があるなら歳の差なんて”チェック! ハンフリー・ボガード 43歳 イングリッド・バーグマン 27歳 歳の差―16歳 これくらいがいいのかもしれない、凄くいい感じだったからね。 ちなみに当初「カサブランカ」の主演はドナルド・レーガン(合衆国第40代大統領)の予定でした。 もし、もろタカ派のレーガンがやっていたら違う映画になっていただろうなあ(ボガードはニュートラルでした) さらにもし、これで彼の俳優としての成功があれば、後のレーガン大統領はなかったかもしれないし、冷戦の終結も時期がずれたかもしれない。 あれは、サッチャーとゴルバチョフとレーガンがいて始めて成立したものなので、う~ん、歴史が変わったかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月06日 09時10分45秒
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