カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
続いて『アメリカが生んだ最も素晴らしいラブストーリーベスト100』第3位。
’61年アカデミー作品賞受賞作品「ウエスト・サイド・ストーリー」 年代は60年代に入りましたが、これも古典ですね。 このランキング、4位の「ローマの休日(53年)」5位の「めぐり逢い(57年)」まで、古典が占めています。 6位にやっと「追憶(73年・当コラム第44回ご参照ください)」です。 養老院でアンケートとったのかと思うほど。 アメリカは常に時代の最先端にいるような印象がありますが、実は守旧的保守層が中心の国なのです。 まあ、古いものを愛するということは、先祖を大事にするのと同様、いい心がけではあります。 度々僕の語る“DNAの指令”は、過去からの連鎖によるものですから。 さて、「ウエスト・サイド物語」ですが、ご存知の通り“ミュージカル”です。 “ミュージカル”は、数少ないアメリカ独自の文化です。 “サッカー”の異形である“ラグビー”が、アメリカで更に変形して“アメリカンフットボール”になったように、“劇”の一形態である“オペラ”がアメリカで“ミュージカル”となって発展しました。 だから、もっともアメリカ的な映画ジャンルといえます。 でも、“ミュージカル”って好きですか? タモリなんかは『大嫌い』だと公言しています。 いきなり踊りだしたり歌いだしたりするのがわかんないということで、まあそうでしょう。 踊りや歌を、映画スタイルで見ていると考えた方がいいかもしれない。 僕は若い頃、“ジャズダンス”をやっていたので、ミュージカルを見るときは、映画を観るというより“踊り”を見るという感じです。 「ウエスト・サイド物語」も、初めて見たときは違ったかもしれないけど、大人になってから見た時は、役者の芝居や話の構成などまったく意に介せず、ひたすらジョージ・チャキリスの踊りです。 ニューヨークの下町を背景に、不良スタイルでユニゾン組んで、足をスパーと高く上げる踊りがシャープですっごくかっこよかった。 フレッド・アステアやジーン・ケリーの時代は終わったんだなあ、と思い知らせるに充分な迫力です。 だから、僕としてはもっと踊りが見たい、話はどうでもいい、歌もいらないって感じでした。 そもそも、話を“ロミオとジュリエット”にする必要などあったのでしょうか。 作る方も話はどうでもいいと思って、ロミオとジュリエットにしてしまったのかもしれない。 でも、やってみたらどうも整合性が取れない。 まっいいか、どうせミュージカルだしー、みたいな逃げがそこかしこに。 話の中の踊りでなくて、踊りのための話だから、突っ込み禁止です。 後に、マイケル・ジャクソンが『ビート・イット』のプロモーションビデオでこのシチュエーション(チンピラギャングの抗争)をパクリますが、これで充分なんですよね。 で、そこにラブストーリーの味付けを施せばよかっただけなのに、ロミオとジュリエットじゃ、味付けが濃過ぎちゃうでしょ。 どうせなら、ナタリー・ウッドとジョージ・チャキリスのラブストーリーにすればよかったのに。 リチャード・ベイマーって誰よ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月08日 07時02分36秒
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