カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
これから俎上にのせようと思うのは’68年版「ロミオとジュリエット」
フランコ・ゼフェレッリ監督、オリビア・ハッセー主演のものです。 「ウエスト・サイド物語」でロミジュリのことに少し触れたいと思ってたのですが、時間がなくなったので回を改めて書くことにしました。 のですが、資料を見てもこの作品出ていません。 おかしいなと思ったら、イタリア/イギリス映画でした(資料はアメリカ映画のものだったので) 全然気づきませんでした。 オリビアもアメリカ人だと思ってました(実はアルゼンチン人です) ま、映画的にどうこうより、この話にもの申したいわけで、シェイクスピアの原作に… “一目ぼれ”の話です。 ほとんどの恋の導入は多かれ少なかれ“一目ぼれ”の要素があり、主にその容姿に惹かれるわけです。 “一目ぼれ”とまでいかなくても、この人いいなあ、ストライク入ってるなあ、話したいなあ、好きになって欲しいなあ、となっていくわけです。 まれに、第一印象は悪かったけど、だんだん好きになって~、というパターンもありますが、これも片方の印象はそうでもなかったということが多いです。 つまり、片方に気があり、相手に何とか振り向いてもらうよう努力を重ねた結果、それが実を結ぶというのが一般的な進行の例な訳です。 僕の場合は、努力をさせられることばかりで、逆はほとんどありません。 それなりに飾ったり、つくろったり、創作したり、なんとか相手の照準内に納まろうと立ち回ります。 うまくロックオンされた時にやっと“恋愛”が始まります。 この過程に恋の喜び(苦しみも)があるわけですが、ロミオとジュリエットにはそれがありません。 一目逢ったその日から、恋の炎が燃え上がります、お互いに。 普通こんなことはありえないのですが、後世言われる“ロミオとジュリエット効果”がそこで働きます。 つまり、二人の間に障害があるゆえに、かえって二人の恋愛感情が高まってしまうのです。 お互いにルックス審査が通った後で、障害にぶち当たり(両家が憎みあっていること)それがゆえに猛烈な勢いで結びつこうとします。 不幸だったのは二人とも見境がつかなくなってしまったということ。 さらに不幸だったのは、冷静にアドバイスしなければならない大人が、バカだったこと(ロレンス修道士のこと) 早く燃える木は、消えるのも早いといいます。 その場限りの肉体を求める恋ならそれでもいいですが、生涯を共にする相手を選ぶのであれば早まるなと言いたい。 たいがい女性の方が、遺伝子を受け止める立場としてわきまえていて、はやる男に待ったをかけるものですが(僕の場合はそうでした)、ジュリエットはまだ若かった。 この’68年版は、原作に近い年令をということで、えらばれたオリビア・ハッセーはまだ16歳。 怪しげな光でも、暗がりから逃れたい一心で、駆け出してしまいました。 昨今世情を騒がせている“いじめ自殺問題”もそうですが、思い込んでしまうと思考が袋小路に行き詰ってしまいます。 目先の問題を過大に怯えず、未来に“夢”を抱いてください。 細かい計画などいらないから、ぼんやりとした“夢”を心に温めていてください。 かならず“幸せ”は来ますから。 子どもだけでないです。 大人もそうですよ。 心を閉ざして思い込むと、光が消えてしまいます。 かっこ悪くても、みじめでも、ここを通り抜ければまた幸せへの道に戻れます。 あなた自身を、もっともっともっと“愛して”下さい。 話が戻らなくなってしまいました。 今回言いたかったのは、恋愛の取っ掛かりは肉体の要求であること。 恋に燃え上がるのは楽しいけど、冷静な目も持たないとダメだよということ。 そして、自分を大切に、一番愛しなさいということ。 全然まとまりませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月09日 07時48分23秒
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