カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
ミュージカルを巡って降りてきたら、「サタデー・ナイト・フィーバー」にひっ掛かりました。
でもこの映画ミュージカルなのかなあ。 突然歌ったり踊ったりのミュージカルではありませんが、歌や踊りが作品の重要な部分、あるいは中心であるため、ミュージカル映画のジャンルに納まるのでしょう。 主役はジョン・トラボルタなのですが、ジョン・トラボルタの“踊り”が真の主役といってもいいでしょう。 最近で言うと“パラパラ”のような、ディスコにはディスコ限定の“ディスコダンス”というものがあり、そのダンス自体が主役となっている映画です。 なんですが、製作する方はその辺がもしかしたらわかってなかったかもしれない。 ディスコダンサーをめざす若者の“青春映画”を撮っていたつもりだったのではないでしょうか。 まさかディスコシーンだけで客が取れると考えてなかったような作りです。 いろいろ青春群像エピソードがちりばめられていた気もしますが、すっかり忘れてしまいました。 このころ、似たようなダンス好きな若者の映画がいくつかあり、どれがどれだったか区別があいまいになってしまっているせいもあります。 そのもろもろのダンス映画に中で「サターデー・ナイト・フィーバー」が特異だったのは、ひとえにトラボルタの踊りと、『ビージーズ』の楽曲の賜物です。 この、ビージーズの復活にはびっくりしました。 僕にとってビージーズは60年代のメロウなフォーク系グループで、「マサチューセッツ」や「メロデイフェア」はお気に入りの曲でした。 でも、70年代では終わっているグループだと思っていたのです。 それが、このディスコサウンドをひっさげての復活です。 ビージーズがディスコ? 初めは何かの間違いかと思いました。 あまりのそのカラーの転換が激しかったから。 でも、彼らはその賭けに見事に勝利しました。 今はスタンダードとして認識されているビージーズサウンドですが、当時はぶっ飛ぶほど斬新でした。 それまでもディスコサウンドというものはありましたが、すべてモータウン系の黒人音楽でした。 逆に言うと白人には作れないジャンルだと思っていたのです。 それが、あのビージーズがなんとやってしまったのです。 驚きました、ほんとに。 そして、その斬新な曲に合わせての、トラボルタの変な踊り。 ディスコダンスって、パラパラにしてもジュリアナにしても踊りとしてはみんな変ですよね。 それが非常にはまって、ミラーボールのステージともどもまったく新しい空間を演出していました。 この頃の僕は、まだジャズダンスをやってなかったと思います。 でも、ディスコにはバイト仲間とよく行ってました。 と言いつつも、この映画のブームの前は“ディスコ”という名称すらなかったような気がします。 “ゴーゴークラブ”とか言っていたようなきがするんですけど、記憶が定かでありません。 そん時も変な踊りを踊ってました。 でも、それが踊りというか、ステップのすべてだったので、一生懸命覚えていた気がします。 ちょっと恥ずかしい… トラボルタの踊りを真似て踊った、あるいは真似た踊りを見た記憶が無いので、映画が公開された時にはディスコは卒業していたと思われます。 というか、バイトをやめて生活環境が変わったため、行動領域も変わってしまったのでしょう。 ディスコにたむろしている連中も好きでなかったってこともあるし(なんか変なムードだったよなあ) さて、トラボルタですが、このあと「グリース」「スティンアライブ」と話題のダンス映画で存在感を出しますが、あまりに回りに作られすぎたため、その後急速に輝きを失います。 “青春スターは大成せず”の格言の通り、彼もまた消えていく運命にありました。 と思ったら、クエンテイン・タランテイーノ監督「パルプ・フィクション」でみごとな復活を果たすではありませんか。 94年作品だから、トラボルタも40歳。 とってもいい中年になっていました。 低迷を抜け、復活したトラボルタは素晴らしく、いい味を出していました。 男はやっぱり辛酸なめたおじさんが魅力ありますよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月18日 09時55分44秒
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