カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
“浮気話”でもう一本書こうと思っていたら、ここまで下ってしまいました。
「マディソン郡の橋」は’95年公開で、僕の青春時代ではありません。 中年浮気問題のジャストタイムだったでしょうか。 一つお断りしますが、僕は結婚後20余年を経ていますが、一度として不倫経験はありません。 俺は浮気はしない、しないと思う、しないんじゃないかな(さだまさしか!) 妻を愛しているからかどうかは、書き方で解ると思いますが、どちらかというと、機会に恵まれなかったと言うのが真相でしょうか。 まあ、君子の交わりは淡きをもってよしとするべしといいますか、ただの弱虫といいますか、結果として家族を悲しませることなく(このことに関してだけですが)過ごしております。 なんですけど、浮気を“悪”と断定しているわけではなく、むしろ“憧れ”ていたりもしています。 それはたぶん一般的な意見で、前回述べたように“DNAの指令”による、“自然の摂理”なのです。 だからこそ原作「マディソン郡の橋」は世界中でベストセラーになったのです。 “DNAの指令”と“社会の掟”の折り合いをつけたと言うことで。 話をかいつまんでばらすと、中年の家族持ちの女性が、4日間だけ不倫をして、その美しい想い出をその後25年間大切にしていたと言う物語。 ばれなかったから家族を悲しませなかったし、あまりに短い逢瀬の期間だったため、楽しかったことだけが残り、素敵な宝物として心の中で輝き続けていたと言うことでしょう。 切なくはありますが、ある意味、理想的恋愛かもしれません。 「恋におちて(第45回)」の二人には辛い別れが待っていましたし、「ドクトル・ジバゴ(第18回)」のユーリ・ジバゴの最期は哀れでしたし、「ライアンの娘(20回)」は村中のおおごとになってしまいました。 社会の倫理観がそういう結末を望んでいたかと思っていましたが、不倫に限らず恋というものは、一瞬の輝きは美しくとも、長引いてしまうと、悲しい結末しか残らないと言うことなのでしょう。 この作品は、小説を先に読んでいました。 日本でもベストセラーになっていたので、そういう人は多かったと思います。 読んだ人のほとんどは、主役のフランチェスカはメリル・ストリーブのイメージで読んでいたと思います。 で、そのままメリルが演じることになり、やっぱりピッタリでした。 問題は、キンケイドです。 たぶんみんなも僕と同じくロバート・レッドフォードをイメージしてませんでしたか。 「愛と哀しみの果て」のコンビになってしまいますが、書き手もそんなイメージで書いていた節があります。 それが、クリント・イーストウッドになってしまいました。 イーストウッドの演技力そして演出力に疑問があるわけではないのですが、でも65歳だったんですよ。 メリルは46歳。 20歳違いはよしとしても、65歳で熱くなれるかなあ。 すでに自信の無い僕としては無理でしょう。 強い人は強いのでしょうか。 継続は力なり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月28日 07時44分55秒
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