カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
ハリソン・フォードではずせないのが「ブレードランナー」
「レイダース/失われたアーク《聖櫃》(第76回)」と「スターウオーズ帝国の逆襲」の間に撮った作品で、ハリソンは本当は出たく無かったと聞いています。 契約が出来てたのでしぶしぶ出たらしいです。 監督のリドリー・スコットに問題があったのでしょうか。 そういえば、ジョデイ・フォスターも「ハンニバル」で、これが「羊たちの沈黙(第57回)」の続編であるにもかかわらず、主役のクラリス役を断っています。 個性の強い監督なのですけど、作品はハイレベルなものばかりです。 “個性”の一部に“日本好き”ということもあります。 でも、同じ日本好きでもイーストウッドの日本の“精神性”好きとは違って、日本のエキゾチックな面を、変わったものとして好きなのではないかと思われます。 彼の描く“日本的”には、かなり“中国的・香港的”な部分が混在しています。 「ブレードランナー」に描かれる近未来の街の日本的な背景もかなり変です。 漢字も変だし。 イーストウッドやルーカス、スピルバーグとは違って、“黒沢明好き”が発展して“日本好き”になったわけではないようです。 美術大学出だから、ゴッホからきてるのかなあ。 一風替わった日本情緒?ですが、それでも四半世紀前は、アメリカの映画に日本が現れることは珍しく、嬉しかったのは確かです。 でも、未来のSF社会に猥雑な日本風景はやっぱり変。 話は2019年のロサンゼルス。 うかうかしているともうすぐですね。 エア・カーが飛び回っています。 ほんとにこうなるんでしょうか。 ハリソン・フォードは刑事なのですが、レプリカントという人造人間を抹殺するために追跡をしている刑事という、わかりづらい存在。 いってみればブランド商品のレプリカ物(にせもの)を没収している捜査の人間版です。 だから日本だったり香港だったりするわけか。 “暗喩”ってことか。 このレプリカントと呼ばれる人造人間は、本物の人間と区別がつきません。 本人も自分が本物かにせものかわかっていません。 レプリカントは後から記憶を注入され、その記憶を頼りに自分を認識するので、自分では本物と信じているのです。 見かけがそっくりで、鑑定書もついてたら本物と思うでしょう。 話は、誰が本物でだれがにせものか、はたまた俺はどっちなんだ?ってことになっていくのですが、このモチーフずーと前に見た記憶がありました。 僕が小学校にまだ上がってないぐらい、『少年サンデー』の創刊当時に“手塚治虫”が『白いパイロット』という漫画を連載していました。 そのネタがまさにこれです。 最終回に主人公と敵役が、どっちが人造人間かを賭けて戦います。 その最終回の号が我が家にあり(僕には兄が二人いるので、その持ち物でした)その衝撃のシーンを何回も開いて読んでいました、幼少の僕。 今から45年ほどの昔、「ブレードランナー」からも20年近く前の話です。 あの頃の日本の子どもは、手塚治虫のおかげで、すでにアンドロイドとかクローン人間とかを理解してましたから。 凄いです、“手塚治虫” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月13日 08時34分54秒
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