カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
ベトナム戦争とその時代を語る上で、避けられない映画があります。
「ディア・ハンター」が製作された’78年は、ベトナム戦争は終結していました。 アメリカの敗北という形で。 10余年の歳月と、58000人の戦死者という犠牲を記録して。 「ディア~」はこの年、アカデミー作品賞を獲得しますが、賞を争ったジェーン・フォンダの「帰郷」もベトナム戦争がらみの映画です。 翌年には「地獄の黙示録」が完成します。 その後もベトナム関連映画は続々誕生しますが、すべてベトナム戦争に対しては批判的なスタンスを取っています。 「グリーベレー」のような、西部劇的活劇の舞台に設定するようなものはありませんでした。 「ランボー」も戦場にもどる「2」は“怒りのアフガン”で、ベトナムを避けています。 戦場は登場しなくとも「ビッグ・ウェンズデー(第48回)」の、軍服姿で広大な真新しい十字架の並ぶ墓地に佇む、ウイリアム・カットのようなシーンは印象的です。 さて、「ディア・ハンター」ですが、当時は非常に衝撃的でした。 ベトナム戦争の戦場をリアルに扱ったのも初めてでしたし、ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンの極限状態の演技が凄かった。 新人マイケル・チミノ監督の長まわし撮影も新鮮でした。 そして、世界中に有名にした“ロシアン・ルーレット”という狂気の殺人ゲーム。 弾倉に一発だけ弾丸を込め、順番に自分のこめかみに銃口を当て引き金を引くという、ゲームというよりリンチ。 これを、ベトコンが捕虜のアメリカ兵に対して行うわけですが、アメリカ中を恐怖させた一方、非難抗議運動も巻き起こりました。 ベトナムではこんなことはやっていないというベトナム人の抗議と、社会主義国からの抗議。 アカデミー賞争いの相手のジェーン・フォンダからも、人種差別映画だと非難されました。 今思えばまったくその通りです。 アメリカは、人種差別が日常に染み付いている国でした。 多民族国家なので、自分も差別されている人間が、違う民族を差別します。 日本人には、体感としてよくわからないところです。 で、チミノも何の危機感知もなくこのストーリーを考えたのでしょう。 こめかみに銃口を押し付けられて撃たれた映像を見て思いついたらしいのですが、それが僕の見た映像と同じとしたら、撃たれたのはベトコンのほうでした。 撃ったのがアメリカ兵。 真逆でしょうが。 そんなこんなをベトナム人は涙ながらに抗議しました。 映画と共にその抗議した事実が残っています。 来年、アメリカで「南京事件」の映画を撮ると発表されました。 「南京事件」とは、いわゆる「南京大虐殺」の話です。 そして、あのアイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」をもとにするというから驚きです。 アイリス・チャンの著作はでたらめで、資料の改ざんとでっちあげで出来ています。 うそつきアイリス・チャンと呼ばれ、本人も良心の呵責からか自殺していて、著書も闇に眠ることになったと思ってました。 それを、いまさらひっくり返して、米中の反日を煽ろうという動きがあるのです。 絶対に抗議するべきだと思うのですが。 でも、誰が? 明らかに政治的な黒幕が控えている動きに対しては、かなり慎重な考察と、未来への判断が必要になります。 でも、何もしなければ認めることになります。 どうする。 安倍晋三? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月27日 08時48分38秒
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