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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2007年01月11日
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涙ボロボロシリーズ。

だめな奴が、あるきっかけで目覚め、復活する。

そんな話、ありましたね。

「ロッキー(第15回)」がそうでした。

「チャンプ」も同じモチーフです。

ボクシングが舞台と言うことも同じ。

違うのは、モティベーションの違い。

ロッキーは恋人エイドリアンのため。

チャンプは息子T・Jのため。

『チャンプ(息子は父親をこう呼びます)、もう一度チャンピオンになってよ!』という息子の声に応えるため。

背中を押す人は違っていても、目指す所は同じ、“自分の発見”。

僕の哲学の師匠、洋先生は常々言っていましたっけ、『己とは何ぞや!』と。

ロッキーもチャンプも、自分を信じて、再生に成功しました。

“人事を尽くして、天命を待つ”というのは間違いで、“天命を信じて、人事を尽くす”というのが成功者の思考パターンなのだそうです。

信じることが、一番重要です。

「ロッキー」が’76年、「チャンプ」が’79年、僕は20歳と23歳、結婚前の汚れ無き青年でした。

人生に夢を持っていたかどうかは忘れましたが、生き方の正しさは求めていました。

ただ、正しさの基準があいまいでした。

絵空事の正しさと、生きていく上の正しさにはギャップがあると思ってました。

サクセス話の裏側の、“馴染めなさ”が、青春の屈折率に曲げられて、冷ややかな目に映ってしまった部分もあります。

あの頃、ああすればよかった、こう選べばよかったと、いろいろ思いますが、一番必要だったのは、“己に正直であれ”ということだったのではないでしょうか。

まどろっこしいですが、あの頃の「チャンプ」を見たときの感想が、素直なものでなかった気がします。

「ロッキー」の展開は、単純に楽しめたのですが、「チャンプ」の方は、人生の重荷をずっしり抱えているがゆえに、何で?という雑音がどうしても頭を掠めてしまいました。

訳知り顔で、突っ込みを入れたりしてました。

でも、今は僕にも愛する息子がいます。

昨年いろいろなことがあって、一番大切なのは“家族”だとわかった今、たぶん違う思いで見ることができるでしょう。

人間は、環境と言う鏡に写してしか自分を見ることは出来ません。

そして、一番根源の自分を知るのは、自分の子どもに自分を写してみた時です。

それが、僕です。

僕が、チャンプなのです。

子どもに対峙した時の自分を見て、様々なことを発見しました。

そして、その発見した“自分らしく”生きていこうと思いました。

今「チャンプ」を見直せば、初めて見た時の100倍ぐらい泣くでしょう。

あの時の涙は、息子に感情移入したものでした。

今のそれは、父親の魂が乗り移ったように。

父親のチャンプ役は「真夜中のカーボーイ(第37回)」のジョン・ボイド(アンジェリーナ・ジョリーのお父さんです)

父子を捨てて出て行った母親は「俺たちに明日はない(第2回)」のフェイ・ダナウェイ。

アメリカンニューシネマを代表する二人でしたが、こういうべたな作品で顔を並べるということは、一つの区切りに差し掛かった思いがします。

同じ年に「クレイマー・クレイマー(第46回)」がアカデミー作品賞を取り、同主演男優賞がやはりアメリカンニューシネマの申し子ダスティン・ホフマン。

アメリカンニューシネマのヒーローが、そろって女房に逃げられ、子育てをしているって、やっぱり時代は変わりました。






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最終更新日  2007年01月11日 09時31分21秒
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